「手足があれば...」よぎったタラレバ 右手と両足を失った男が、それでも富士山登頂を目指す理由

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   20歳の時に事故で右手と両足を失った山田千紘さん(31)には2023年夏、富士山に登るという目標がある。平日はフルタイムで働く会社員。登山の経験もほとんどない。練習で登った筑波山では、険しい岩場で「手足があれば...」とタラレバがよぎる場面もあったという。

   それでもモチベーションは高い。重い障害がある体で、日本最高峰に挑もうと思った理由は何なのか。「目標としては大きいけど、10年前にリハビリを受けた時と考え方は同じ」という山田さん。富士登山への思い、チャレンジの意義、そしてその先について語った。

   【連載】山田千紘の「プラスを数える」~手足3本失った僕が気づいたこと~ (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)

  • 筑波山を登る山田千紘さん
    筑波山を登る山田千紘さん
  • 山田千紘さん
    山田千紘さん
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  • 山田千紘さん

僕のチャレンジは誰かのためでもあり、自分のためでもある

   手足を3本失った当時は「何もできない体になったのか」と、どん底に落ちました。だからこそ立ち直ってからは、「この体で何でもチャレンジしたい」と思って生きてきました。その中で挑戦したいと思ったのが山登り。登山の経験はほとんどなかったけど、登るなら日本最高峰の富士山を目指そうと、いつしか目標になりました。手足が3本ない体、それも片足は膝上まで切断した体で富士山を登った前例は、おそらくないと思います。

   難しい目標と思われるかもしれないけど、高い目標を設定するのは僕にとって大事なことです。事故で手足を切断してどん底を味わった時、本当にいろんな人が勇気や希望を与えてくれました。たとえば、歩ける喜びを感じられるのは義足メーカーのおかげです。今こうして生きていられるのは決して自分1人の力のおかげではありません。だから今度は、与えてもらった僕が成長した姿を見せて、勇気や希望を与える側になりたいと思っています。

   手足が1本ない人は「3本ない人がこれだけできるなら、自分も何かできるんじゃないか」と思ってくれるかもしれない。障害の有無にかかわらず「やりたいことがあるけど踏み出せない」という人もいると思います。そういう人も、良い意味で僕を比べる対象にして「自分も明日から何かやってみよう」と思ってくれたら嬉しいです。誰かのモチベーションが上がるなら、手足を失った僕の生きがいに繋がります。だから僕のチャレンジは誰かのためでもあり、自分のためでもあります。

自分の体のマイナスなことも、それをプラスに変えられることも再確認

   「この体でチャレンジすることに意味がある」と思う一方、去年12月に練習で筑波山に登った時、「手足があれば...」と思う場面がありました。険しい岩場を前にして「両足があったらジャンプして越えられるのに」「右手があれば両手の力でよじ登れるのに」と、タラレバがよぎりました。現実には小さい段差でも苦労し、物凄く時間がかかってしまいました。不甲斐なさ、悔しさを感じました。

   手足を失ってから10年、1人でできるようになったことがたくさんありました。リハビリして義足で歩けるようになり、家事などもできるようになり、パソコンも使えるようになって、仕事もフルタイムでできています。だから慣れというのか、日常生活の中で障害があることをあまり意識しなくなりました。富士山登頂も「やればできる」と思いました。

   そんな中で筑波山に実際に登って、全然思ったように進めなかったから、「自分には重い障害があるんだ」と痛感しました。「手足があれば」というタラレバもよぎりました。一方で同時に、「この体で富士山に登りきれたら、きっと誰かを勇気づけられる」という、チャレンジの意義も改めて感じました。自分の体のマイナスなことも、それをプラスに変えられることも、登山によって再確認できたんです。筑波山の経験で富士山への思いはより強くなりました。

「手足があれば」と意識することは「手足がない」と確認することでもあった

   「手足があれば」と意識することは「手足がない」と確認することでもありました。「ないものはない。あるものでどうするか」。いつも考えてきたことだけど、最近は深く考えるシーンが少なかったから、良いきっかけになりました。

   その意味で、富士山は目標としては大きいけど、10年前の事故直後にリハビリを受けた時と考え方は同じです。両足を失った当時、義足を履けば歩けるようになると思っていたけど、実際に履いたら最初は全然歩けなかった。「足がない。以前の自分とは違う」と痛感しました。でも義足の練習を積んで歩けるようになったし、その時の喜びはとても大きかったです。富士山は高い壁だけど、この体だからこそ、登りきったらきっと新しい景色が見えると思います。

   もし登頂できたとして、その先の自分がどうなるかは分かりません。もっとすごい山に登りたくなるかもしれないし、別のチャレンジをしたくなるかもしれない。感じることはたくさんあると思います。仮にダメだったとしても、一歩踏み出して失敗するのと、何もせずに諦めるのとでは違います。再チャレンジもしたくなるかもしれない。いずれにしても、動かないと始まらない。筑波山で感じた悔しさも、タラレバがよぎったことも、すべて経験として繋げて、目標に向かっていきます。

(構成:J-CASTニュース編集部 青木正典)

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