震災から12年...宮城県山元町「集団移転」の現在地 「新たな地域づくり」直面した難しさと手応え

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話し合いの大切さ「分かってくれるように」

   津波の被害が大きかった沿岸地区にも、一部の住民が残った。町が本格対応を始めたのは、震災から5年が過ぎた2016年度だ。不満を持った被災者もいただろう。行政と共に支援に入った橋本さんは、「サンドバッグになる覚悟で」住民の話に耳を傾けた。

   被災した沿岸部のうち、「東北まちラボ」が支援する笠野、中浜、磯の3地区は震災前と比べて人口、世帯数共に9割前後減少。自治会を他地区に融合するか、自力で維持するか住民と意見交換を続けた。最終的に「存続」が決まり、コミュニティーの拠点となる集会所を再建した。条例で新築が許されないこれらの地域は、将来の見通しが厳しい。だが橋本さんは集団移転地区と同様に、住民と話し合うプロセスを重ねて、丁寧に合意形成を図っていった。

   山元町で被災した住民が直面した、集団移転をめぐる決断。震災から12年がたち、それぞれの暮らしはある程度落ち着いたとはいえ、課題も少なくない。

   移転した2人の町民を取材した。当初は「同じ地区の住民がまとまって動く」と聞き、安心していたという。だが実際は違った。さらに入居まで時間がかかり、仮設暮らしが長引くと、移転を諦めて山元町を離れていく人が出た。転居先では、隣の住民が誰なのか「個人情報保護」を理由に知らせてもらえない。「移転しても、震災前と同じ近所付き合いができる」との期待は、失われた。

   高齢者が多いのも、移転先の特徴だ。「なかには、ずっと家の中にこもって出てこない人がいます」「将来、コミュニティーとしては続かないんじゃないだろうか」。2人からは、こんな懸念が聞こえた。

   それでも――。住民の「今の暮らし」を下支えし、最良の状況を追求しなければならない。橋本さんは住民支援を続ける中で、「話し合うことの大切さを、皆さんわかってくれるようになった」と手ごたえをつかんだ。役員の担い手不足、高齢化、若者や女性の参画が少ないなど、自治会運営の課題は多い。それでも「皆で悩んで答えを出す」以外に正解はなく、またその答えのプロセスが「正解」だと位置づける。

   望んで来た移転先ではないかもしれない。沿岸部に残った人も、不便さはあるはずだ。そのなかでも、自分のコミュニティーを住みやすくするには、住民ひとりひとりが考え抜き、知恵を出し合い、決めていくしかないのだろう。

(J-CASTニュース 荻 仁)

   J-CASTニュースでは東日本大震災が起きた2011年以降、毎春、被災した地域・人々の取材を続けてきました。2023年は「変わる街、変わらぬ思い」をテーマに、リポートします。この連載は、随時公開します。

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