「ご飯とか食べて」「カツ丼になります」は変な日本語? タモリのダメ出しで注目...国語辞典編纂者が解説

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   タレントのタモリさん(77)が2023年2月18日に放送された「タモリのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)に出演した際、巷の言葉遣いにダメ出しした。

   この日の放送でタモリさんはゲストに歌手で俳優の星野源さん(42)を招いてトークを展開。その中で、言葉の変遷について思いを語る場面があった。

  • タモリさん(2015年撮影)
    タモリさん(2015年撮影)
  • タモリさん(2015年撮影)

「『ご飯とか食べる』って、他に何を食べてるの?」

   番組中、タモリさんは「言葉も変わっていくから」としつつも、表現によっては癪に障るものもあると明かす。その例として、「ご飯とか食べて」といった「とか」を使った表現に言及。「『ご飯とか食べる』って、他に何を食べてるの?」と、用法がおかしいとの考えを示した。

   さらに、飲食店で多い用法として「○○になります」というものが多いと指摘しながらカツ丼を例に説明を続ける。タモリさんは「『カツ丼になります』って言うんだったら」としつつ、それならばカツ丼の材料を提示すべきだと、これらの表現への違和感を語った。

   この話は星野さんの大笑いを誘ったほか、ツイッターには「同意。わざわざ言葉をつけ足して何してんの?って気がする」「私も『これからかつ丼になるんかい?』って心の中で思ったことがあります。『~でございます』でよい気がする」といった、タモリさんへの賛同の声が上がった。「言いたいことはわかるけど...んじゃ、『カツ丼でございます』って言えばいいの?」と困惑するような声も一部ある。

   J-CASTニュース編集部は21日、これらの言い回しについて、「三省堂国語辞典」編纂(へんさん)者の飯間浩明氏に解説を求めた。

「もはや変な使い方とまでは言えないでしょう」

   まずは、「とか」を他に何もなく使う場合について聞いた。

「『ご飯とか食べて』という言い方は1980年代に一般化した言い方で、当時『とか弁』などと揶揄(やゆ)されたものです。現在では会話でごく普通に使われ、もはや変な使い方とまでは言えないでしょう。『三省堂国語辞典』第8版では『ものごとをぼかして言うことば』と説明しています」(飯間浩明氏、以下同)

   とはいえ、本来の使い方とは言えないのではないだろうか。

「平安時代の用法を見ると、『とか』は本来『鼬(いたち)とかいふなるもの(イタチとかいうもの)』のように、不確かなものを表しました。一方、『ご飯とかお茶とか』のように並べる言い方は中世以降の用法で、比較的新しいですね。その点、今回話題の『ご飯とか食べて』は婉曲(えんきょく)表現なので、不確かなものを表す本来の用法を受け継いでいるとも言えます」

「『なる』には『変わる』以外にも、いろいろな意味の『なる』があります」

   「カツ丼になります」のような「○○になります」についても聞いた。

「飲食店の店員が『○○になります』と言うことも、1980年代から指摘があります。『カツ丼になります』と言っても、これからカツ丼に変わるわけではありません。『なる』には『変わる』以外にも『高さ5メートルにもなる銅像』『逃がしてなるものか』など、いろいろな意味の『なる』があります。『カツ丼になります』も、多くの意味のひとつと考えれば気にならないでしょう」

   だとすると、今回取り上げられた「なる」はどういう意味なのだろうか。

「『相当する』という意味です。『こちらが○○になります』という文型で使われることに注意してください。『こちらが正面になります』など、遅くとも明治時代から、『なる』は『相当する』の意味で使われてきました。飲食店の場合、『カツ丼です』と直接的に言うのでなく、『こちらがカツ丼に相当します』と婉曲に言っているのです」

   最後に、飯間氏は「カツ丼でございます」と言うのがいいのかとする声にも答えた。

「それでもいいのですが、『カツ丼でございます』は『カツ丼です』を単純に丁寧に言ったものです。『こちらがカツ丼になります』は、さらにカツ丼を直接に指すことを避けた婉曲表現です。『これから変化する』の意味ではなく、理屈は通っているわけです。それぞれの飲食店の雰囲気に合わせて、表現を選んではどうでしょう」

(J-CASTニュース編集部 坂下朋永)

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