内閣支持率が低迷する一方で、野党の支持率も伸び悩む。日本の主要政党の中で党員による党首選を行っていないのは公明党と共産党で、特に共産党は志位和夫委員長が20年以上にわたって党のトップを務めている。この「長期政権」が低迷の一因との指摘もある。そんな中、党の国会議員秘書や政策委員を務め、現役党員の松竹伸幸氏(67)が著書「シン・日本共産党宣言──ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由」(文春新書)を出版し、党首選の実施を求めている。
共産党の機関紙「しんぶん赤旗」に、松竹氏を批判する論説記事が掲載され、志位氏は「そこで述べられている通り」と、自らの言葉による説明を避けている。一方の松竹氏はJ-CASTニュースの取材に応じ、党内の議論が可視化されないことが有権者、とりわけ無党派層の共産党離れにつながっているとみている。公選制の主張を通じて議論を喚起し、間口を広げたい考えだ。(全2回の前編)(聞き手・構成:J-CASTニュース編集部 工藤博司)
「党の改革をこうするんだ」という議論があれば...」
―― 内閣支持率は低迷する一方で、野党の支持も伸び悩んでいます。共産党も22年夏の参院選では議席を減らし、論客として知られた大門実紀史参院議員が落選したりしました。この理由をどうみますか。志位和夫委員長が「長期政権」になっていることは影響しているとみますか。
松竹: 21年の衆院選の「限定的な閣外協力」をめぐる混迷が大きいとは思います。22年夏の参院選に限って言えば、21年の衆院選で野党共闘路線が行き詰まりを見せて、それについてどうするかが問われたわけですよね。でも、共産党はそれに対してどう向かっていくのか、全然打ち出せませんでした。野党共闘路線を続けるのであれば、「ここを克服してこうやる」と言わなければならなかった。例えば昔であれば、野党が与党にすり寄っていくような局面では「みんな『右へならえ』でいいのでしょうか」「確かな野党」といったスローガンを打ち出して選挙に臨んできましたが、そういったこともありませんでした。野党共闘を進めたいという強い気持ちがあり、その枠から出られないまま選挙を戦ったことが一番大きいと思っています。共産党の場合は、党員数でも「しんぶん赤旗」の読者数の面でも党勢がずっと落ち込んでいるので、選挙を戦うのはそう簡単ではありません。その時々の情勢や時代に見合ったものを打ち出せれば、党勢が後退していても選挙では多少伸びる、ということはあり得ます。ですが、今回はそういうものが何も見出せなかった。もし何か物事を言えて「党の改革をこうするんだ」という議論があれば、別の国民の受け止めもあったと思いますが、そのようなことも含めて、国民に訴えるものが出てこなかったということだと思います。
「100%の正解」と「全然正解ではない答え」があるわけではない
―― 内部の議論が可視化されず、「閉ざされた感」が国民に伝わってしまっているところはありそうですね。
松竹: まあそうでしょうね。総選挙のことで言うと、田村さん(田村智子政策委員長)のツイッターの問題ですよね。「野党としての共産党なら良いけれど、政権に関わったらどうなるの?という不安は、私たちの想像を超えて広がった」という書き込みです。私が所属している支部でも「その通りだ」と、すごく歓迎されて話題になりました。でも、あの書き込みは一夜で消されてしまいました。可視化される部分が「支持されるようなことではない」というか...。田村さんは、なぜそんなことを言ったのか、その根拠を明らかにする必要があると思いますし、党として「党の見解を統一する」ということで撤回させるにしても、「田村さんの見解は間違っているから撤回させる」といった説明が必要だったと思います。 誰にとっても物事を選択するときは、何か「100%の正解」と「全然正解ではない答え」があるわけではなくて、どっちが正しいのか悩みながら答えを出しているわけで、仮に一方に決めたとしても、選ばなかった別の見解にも、やはり多少の根拠や正当性がある。そういったところが見えないと、「特定の見解だけ(しか持っていない)」みたいに国民には見られてしまいますよね。
―― 21年衆院選の「限定的な閣外協力」という説明は有権者にとって分かりにくく、自民党からは「立憲共産党」と揶揄されました。共産党としては他の野党とは違う確固としたものがあって、本来は「水と油」なのに、むりやりくっつこうとした、という印象を与えたのかもしれません。「どこまで歩み寄れるか」についての議論をオープンにしていれば、多少は違った印象を与えたかもしれません。
松竹: 共産党の側にしてみれば、自分たちの立場を脇に置いて...ということで、相当な譲歩をしたというつもりがあります。それなのに、共闘について自分たちが予想したような前向きな反応がないことに、すごく不満があったんでしょうね。共産党の内部からは、当時の志位さんは、すごく高揚していたと聞きました。少なくとも「政権に共産党が入る、入らない」という議論を立憲としているわけですから。志位さんにしてみれば、共産党の100年の歴史の中で、「次の選挙で政権を取りに行く」と言える党首は自分1人、自分が初めて、というわけですね。安保・自衛隊で立憲とは一致しない部分があるわけで、別に政権を取りに行くということでなければ、もうちょっと議論を続けるという選択だってあったわけです。ですが、「政権を取りに行く」と打ち出すことを決めてしまったものだから、身動きが取れない状況になってしまいました。意見が違ったまま、「政権を取りに行く」と言わざるを得ない。そこの落とし穴を麻生さん(麻生太郎・自民党副総裁)に突かれてしまったし、国民にはバレてしまった。こういったところが大きかったと思いますね。
「核共有」論にも「そう考えざるを得ない人が出てくる背景には思いを」
―― 共闘の説明が難しい状態だったのに、志位氏が高揚していたというのは意外でした。著書では「現在の共産党は、みずからが最左翼であることに満足し、あるいはそれを誇っているように見えるが、政権をめざす政党としてはどうなのだろうか」とあります。先日の出版記者会見では、今の共産党は先鋭化した市民運動と一体化して、一般の人にとっては「怖い人」と受け止められているのではないか、という趣旨の指摘もありました。つまり、ふわっとしたライトな支持層、無党派層に訴求するのが難しくなっているのではないか、という懸念です。党として、どの程度「右」に行くべき、行くことが許容されるとお考えですか。
松竹: 私のブログ「超左翼おじさんの挑戦」のサブタイトルには「保守リベラルからリアリスト左翼まで中翼(仲良く)」と書いています。「超左翼おじさん」と言っているので左翼なのですが、やっぱりどこまで対話が可能か、共感が可能か、ということで、あのように書いています。実はあの言葉は私の発言ではなく、「自衛隊を活かす会」代表の柳澤協二さん(元内閣官房副長官補)の言葉です。柳澤さんは、防衛官僚という立場から、だいぶ歩み寄ってきたという経緯があります。当初は、例えば「九条の会」で呼ばれたときは「絶対行かない」と言っていたのですが、別の名前の会から呼ばれて名刺交換したら九条の会の人だった、ということがあったりして、だんだん九条の会や革新懇(平和・民主・革新の日本をめざす全国の会)もOKになっていきました。その過程で、「左翼であっても、リアリストだったら対話して共感を広げる対象にするんだ」「保守リベラルからリアリスト左翼まで」と柳澤さんがおっしゃっていたのをパクリました(笑)。そう考えると別に最左翼でもいいのですが、それだけでは、おっしゃるような、ふわっとした人とは全然違うわけですよね。自分の立場や意見と異なったときに、すぐに「その意見は間違っている」となってしまうと...。市民運動はそれでいいのですが、政党としては、国民の多数の支持を得るという基本的なところからも、おかしくなってしまいます。国民の中には無党派層もいて、右翼もいて左翼もいて、憲法の問題では改憲派もいます。そういう立場が打ち出されたときに、その人がそのように主張する根拠があって、そこにはやはり共感できるものがないと駄目だ、というのが私の一貫した考え方です。
言い方を間違えると誤解されるかもしれませんが、核共有論だって、やはり「ウクライナ戦争があって、もう米国は自国を守るために核兵器は使ってくれない」という不安があるわけですよね。「それだったら米国に任せるのではなくて、自分たちも核兵器の使用に決定権も持たないと核兵器の信用性がなくなる」といった議論です。共産党としてそれを批判しても良いのですが、そう考えざるを得ない人が出てくる背景には思いを寄せて、「そういうところもあるよね」と、いったん共感をして、何らかの心の通い合いがあった上で次の議論に進む...といったことでなければ、政党としてはうまくいかないのではないかと思っています。
毎日新聞「風知草」でも紹介された「核抑止抜きの専守防衛」
―― そのひとつとして著書で提案しているのが「核抑止抜きの専守防衛」ですね。米国の核抑止以外の通常兵器による抑止を図り、日米安保条約は堅持することを掲げています。
松竹: 私も、どこまで言えるのかすごく悩み抜いたところがあります。毎日新聞のコラム「風知草」(1月23日)では、「国防リアリズム元年」と題して私の本を取り上げていました。筆者の山田孝男さんは、「核抑止抜きの専守防衛」について、「非武装中立論よりはリアルだが、非現実的であることに変わりはない。なぜなら『核抑止は全く無意味』という極論が前提だから」。そういう立場もあるでしょうし、藤田さん(藤田健・赤旗編集局次長)の論文(「規約と綱領からの逸脱は明らか ――松竹伸幸氏の一連の言動について」と題して1月21日の「しんぶん赤旗」に掲載された論説記事。いわゆる「藤田論説」)のように、綱領からの逸脱だ、安保・自衛隊容認だ...みたいな反応もある。1月19日の記者会見では「共通の土俵」と言いましたが、少なくとも(今の共産党の)「安保廃止、自衛隊違憲解消」という立場のままでは議論に参加できないけれども、(「核抑止抜きの専守防衛」であれば)議論に参加できる政策としてはありうる。本当だったら共産党にとっても、十分受け入れられるものだと思います。
―― 党首公選の持論は、いつ頃から発信しているのですか。
松竹: 故・萩原遼さん(編注:「しんぶん赤旗」元平壌特派員。北朝鮮問題で党を批判したり、党とは異なる見解を公表したりしたとして、05年に除籍された)が、著書「朝鮮と私 旅のノート」(文春文庫、00年)で党首公選に言及しています。党内でも、そういうことを考えて発表する人はいたわけですね。自分が初めて党首公選制について書いたのは21年の総選挙の後です。このままでは共産党もさらに衰退が加速していくばかりだと思ったときに、安保・自衛隊の議論をしようと思いました。ですが、共産党は何十年も今の路線でやってきたわけで、1961年に綱領改訂で大論争して以降、その大きな路線を変えるような経験はないわけです。だから、綱領を作ったときに近いような大きな議論をしないと駄目で、そのためには党首公選しかないだろう、と思いました。ですが、萩原遼さんが20年前に言っても誰にも注目されなかったように、私が言っても「そんなこと言ってる人はいるよね」という程度で終わるでしょうし、みんなだって「志位さんの路線でOK」となるだろうし、ましてや立候補する人はいないだろうし、みんなが共感しないような言い方をしていては何の影響もないと思いました。そこで、党首公選と合わせて、自分が立候補すると言うしかない、となったわけです。
―― 党内で議論が起こっていることを広く知ってもらうには、党首公選が唯一の方法だ、と思い至ったということですね。
松竹: そうですね。政治・外交委員会の責任者を務めていた山根隆志氏が毎日ブログを読んでくれていて、22年4月頃「大胆だね。いいね」と言ってくれたので、「選挙になったら推薦人になってよ」と話していたところでした。5月に事故で亡くなってしまいましたが...。山根氏のように、きっと党内でもそれなりの受け止め、反響があるだろうと思って準備してきました。
意思決定機関の専従職員の割合を減らしたい
―― 最初聞いたときは冗談と受け取ってしまう人もいると思うのですが、「本気度」は高めだと受け取っていいんですよね。
松竹: (笑)そうですよね、やっぱり誰でも冗談というか、現実味のない話だと思えるわけですよね。だからこの本だって、文春に持っていくまでに2、3別のところに話をしましたが、断られました。ある出版社では、編集長はちょっと左翼っぽい人で、「自分も共感するから出したい」と企画会議にかけましたが、営業がみんな猛反対、みたいな...。だって、今どき共産党がテーマの本で、しかも党首公選。「そんな本が売れるわけがない」となりました。別の出版社では、編集長から「すごく読みやすい文章で書いてあるという点では説得力があると思うが、リアリズムが感じられない」と言われました。
―― 文春から出してみたら重版がかかって良かったですね...!
松竹: 文春でもう最後だと思って、これで駄目だったら自分の出版社(かもがわ出版)で出そうと思っていたのですが(笑)、文春に送ったら3日後ぐらいに編集長さんから「出しましょう。今から(松竹氏が住んでいる)大阪に行きます」と連絡があり、今に至ります。
―― 仮に党首選が行われることになれば公約を出すことになると思いますが、委員長(党首)になったら、党内議論の可視化以外に何をやりたいですか。
松竹: いろいろあります。例えば党の機構改革。共産党が方針を決める上で最大の弱点は、共産党から給与を受け取っている専従の人がみんな決めている、という点です。これが自由な議論を妨げていると思うので、意思決定機関の半数以上は自分の給料で生活している人がなるべきだと思います。あと、「しんぶん赤旗」は、(日曜版以外の)日刊紙は本当に早くデジタル版に移行しないと...。
―― 配達する党員も高齢化が進んで大変だそうですね。
松竹: 配達はほとんど危機的な状況ですよね。外部委託もありますが、それをやってくれる人がいないところは大変です。例えば私が暮らしていた江東区では、本当に広い範囲を1~2人とかでやっているので、配達が朝8時までかかったりします。読者の多くは高齢者で家にいるので、読めるといえば読めるのですが、職業を持ってる人にはもう通用しないので、相当深刻ですよね。それよりも何よりも、「国民と結びつくのに紙の新聞か?そうじゃないだろう」という問題です。紙の新聞は日曜版で十分で、日刊紙を作るのにかかっている莫大なリソースを別の戦略、例えばネット戦略みたいものに当てないと...。(後編へ続く)
松竹伸幸さん プロフィール
まつたけ・のぶゆき 1955年長崎県生まれ。79年一橋大学社会学部卒業。89年から2006年にかけて日本共産党中央委員会で勤務。その間、国会議員団秘書、政策委員会・安保外交部長などを歴任した。現在、ジャーナリスト・編集者。かもがわ出版編集主幹、日本平和学会会員、「自衛隊を活かす会」(代表・柳澤協二)事務局長。専門は外交・安全保障。『反戦の世界史』(新日本出版社)、『9条が世界を変える』(かもがわ出版)、『レーニン最後の模索』(大月書店)、『憲法九条の軍事戦略』『対米従属の謎』(平凡社新書)、『慰安婦問題をこれで終わらせる。』(小学館)、『改憲的護憲論』(集英社新書)、『「異論の共存」戦略』(晶文社)など著書多数。