過去最大の規模に成長しているといわれる日本のマンガ市場。出版科学研究所の調べによれば、推定販売額は2021年には紙と電子あわせて6759億円に到達した。
そんなマンガ界の盛り上がりに貢献してきたイベントの1つが創作同人誌即売会「COMITIA(コミティア)」だ。オリジナル作品を売買できるイベントで、参加をきっかけに商業デビューした作家は枚挙にいとまがない。新型コロナウイルス感染症の拡大によって存続の危機に瀕した際には、ファンや出版社などから1億円を超える支援が寄せられた。
「面白いマンガが読みたい」――コミティア実行委員会の中村公彦(なかむら きみひこ)さんは、その一心でイベントを続けてきたと振り返る。コミティアを続けるため、務めていた雑誌の編集長を退任した。コロナ禍で存続の危機に直面した際は、会社を失い個人となろうともコミティアは続けようと模索したという。
J-CASTニュース編集部は、中村さんにコミティアのこれまでの歩みと今後への意気込みを取材した。
(聞き手・構成/J-CASTニュース編集部 瀧川響子)
昔の同人誌は「オリジナル」が多かった!
コミティアは1984年から続く同人誌即売会で、作家はプロ・アマチュア問わず自らの手で作り上げた本を対面で販売することができる。会場は、日本最大級の同人誌即売会「コミックマーケット」と同じ東京ビッグサイト。一般的な同人誌即売会はパロディやファンアートなど既存のキャラクターを用いた「二次創作」作品を取り扱うことが多いが、コミティアはオリジナル作品「創作」に限定している。
中村さんはコミティアの設立に関わり、1985年から2022年11月まで、37年間コミティア実行委員会の代表を務めた。代表を退いてからは、会長としてコミティアを支えている。
――コミティアはなぜ、オリジナル作品に限定したのでしょうか。
中村公彦さん(以下同)「同人誌即売会が生まれる以前の同人誌といえば、『学漫』と呼ばれる大学のマンガ研究会が発行するなどオリジナル作品が中心でした。つまり二次創作はほとんどなかった。
同人誌を販売するイベント『同人誌即売会』は1975年のコミックマーケットから始まりました。当時は昭和24年生まれの作家ら『花の24年組』によって少女マンガが大人気で、コミックマーケット準備会の母体となった評論サークル『迷宮』はそのパロディ本を出して、その後の同人誌に大きな影響を与えます。同時期にアニメ『宇宙戦艦ヤマト』のパロディブームもあり、コミックマーケットは二次創作と共に拡大します。
一方で二次創作を受け入れる先発があったため、私たちがそれをやる必要はないと考えました」
――コミティア設立のねらいはどのようなものだったのでしょうか?
「コミックマーケットが二次創作中心になっていった時に、設立当初のオリジナル同人誌の振興を目的にしたものではなくなった、と運営を抜けた一部の人たちが、新たに創作オンリーの同人誌即売会『MGM(Manga Gallery & Market)』を立ち上げました。私は10代の終わりからそこに通いつめて、全国から集まる面白い作家たちのオリジナル同人誌に夢中になりました。そのころのMGMには前夜合宿があって、上京してきた作家たちが集ってその場でリレー形式の合作マンガを描き上げ、翌日のイベントでコピー本にして1冊100円で販売するなど、ライブ感も面白かった。そんな作家同士の交流や刺激しあう様子と、そこから生まれてくる魅力的な作品を間近で見て、こういう世界に憧れを持ちました。そんな時に同世代の仲間たちに誘われて、新しい創作オンリーの同人誌即売会となるコミティアを立ち上げたんです」
――代表を退任する際のあいさつでは「何らかの新しい創作マンガの流通システムを生み出し、定着させなければ意味がないと考えていた」と振り返られていましたね。
「1984年の設立当時は商業誌のマンガも右肩上がりの時代でしたし、コミックマーケットを中心とする二次創作文化も成長期でした。同人誌専門の印刷所もでき、いろいろなインフラが整いはじめたころです。一方で私たちはオリジナル同人誌作品の面白さには絶対の自信があり、ここにマンガの新しい可能性があると確信していました。
そのためにも大量生産大量消費の商業誌のマンガに対して、多品種小ロットで成立する同人誌マーケットの特性を生かした新しい流通システムが必要だと考えました。そこからは様々な試行錯誤を積み重ねて現在のコミティアの形となっています。 同人誌即売会の何よりの魅力は作家と読者、あるいは作家同士の、リアルの出会いの面白さと刺激です。その核の部分を大切にしながら、時代に即してアップデートしつつ、コミティアの試行錯誤はまだまだ続くと思います」