東出昌大「愛って複雑怪奇」 DV詩人役で主演...映画『天上の花』で見せた「人ならざる顔」【インタビュー】

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   俳優の東出昌大さん(34)が主演する映画「天上の花」が2022年12月9日に公開された。

   東出さんは、明治に生まれ昭和において詩人として活躍した三好達治役で出演。妻子を捨ててまで手に入れた憧れの女性・慶子との生活を始めるも、ほどなくして達治は慶子への愛が伝わらないと嘆きつつ暴力を振るうという、愛と憎しみに引き裂かれた日々を送る三好の姿を描いた作品だ。

   J-CASTニュース記者は12月中旬、舞台挨拶後の東出さんにインタビューし、作品に対する思いを聞いた。

(聞き手・構成/J-CASTニュース編集部 坂下朋永)

  • インタビューに答える東出昌大さん
    インタビューに答える東出昌大さん
  • 主演映画「天上の花」のパネル前で笑顔を見せる東出昌大さん
    主演映画「天上の花」のパネル前で笑顔を見せる東出昌大さん
  • インタビューに答える東出昌大さん
  • 主演映画「天上の花」のパネル前で笑顔を見せる東出昌大さん

「向こう側に行っちゃった人」は「人ならざるものの顔」になる

   作中で達治は師と仰ぐ萩原朔太郎の妹・慶子に対する16年4か月の思いを実らせ、福井県の三国に借りた新居で生活を始める。しかし、生活はすぐにいさかいの絶えないものとなり、2人の関係は破綻していく。

――舞台挨拶後のサイン会で、東出さんがファンの方からラストシーンについて話しかけられている姿を拝見しました。当該シーンでは東出さん演じる三好達治が慶子に対して、出ていくのを思いとどまるよう2階の窓から呼びかけていましたが、その時の表情がとにかく狂気じみていたと。

東出:いやー、これはネタバレになっちゃうかもしれませんが、あれは本当に、「人が人に対して絶対に見せてはいけない顔」なんです。まあ、その中では、まだ、序の口なんですが。あの表情が表わしているものは、狂気や空虚さ、あとは虚無とでも言えばいいですかね。

――映画封切り直前に公開された映画の宣伝動画では、このシーンについて監督から、「どれぐらいの気持ち悪い顔が出来るか?」と聞かれ、「相当気持ち悪い顔が出来ます」と答えた上で演じたとおっしゃっていましたが、監督の求める演技、もしくはそれ以上が出来たとお考えでしょうか?

東出:うーん、どうなんでしょう......1つ言えるのは、あのシーンの達治の口から出るセリフというのは、本当に「向こう側に行っちゃった人」のセリフなんです。そんな状況の人間って、やっぱり、「人ならざるものの顔」になってしまっていると思うんです。なので、あのシーンを演じる際には、頭の中にそのような青写真を描きつつ、監督と話し合いながら撮影に臨みました。

「『愛』ってグラムやメートルでは測れない」


演技の際には「三好達治になる」ことを心がけたという

――「天上の花」は作品が進むにつれて達治の暗黒面が徐々に描かれていく一方で、序盤では、達治に対して「こんなに優しい詩を書くんだ」といった言葉が投げかけられるなど、柔和な一面もあるということが明らかにされていましたが、この、二面性を演じる際に気を付けたことは何でしょうか?

東出:二面性を演じるというものではなかったですね。人って誰しも二面性、もっと言ってしまえば多面的な存在だと思うんです。そういう意味では「三好達治になる」ことを心がけました。あとは、人って他者に対して「こう見られたい」といった「虚影」を繕いながら生きていると思うんですが、作中ではその虚影が徐々に剝がれ落ちていく様を演じました。

――作中で達治は、慶子への愛が伝わらないことに何度も打ちひしがれたほか、慶子からは、詩人なのだから暴力ではなく言葉で伝えてみろとなじられるなどしていましたが、言葉を生業とする詩人でも伝えられないとなると、やはり、「愛」とは言葉では表わせないものなんでしょうか?

東出:達治の「愛」が本物の愛だったのか、偏愛だったのか、自己愛だったのか、それはちょっと分からないですね。ただ、達治は詩人でしたから、もしかしたら、自身にとっての「ミューズ」を必要としていたのかもしれません。自分の心に秘めた愛を詩に昇華させる際に、具体的な対象として慶子の存在が必要だったかもしれないということです。

――なるほど!

東出:達治は「あなたを想って書きました」と明かしつつ、自身の作品である「花筐」(はながたみ)を慶子に渡しますが、やっぱり、創作のためにミューズを欲していたというのはあると思います。ただ、あの時の達治に「あなたは慶子を愛していないじゃないか!」と指摘したら、たぶん、達治は真顔で「いえ、愛しています!」と言うでしょう。結局、「愛」ってグラムやメートルでは測れないですから、複雑怪奇なものだなあと思います。

達治が求めていた「良妻」の像とは?


達也が用意した「耽美な世界」は、必ずしも慶子の理想とは一致しなかったようだ

――作中では前妻や子供のための養育費を支払う一方で、慶子からは家に入れる金が少ないと不満を漏らされるシーンがありますが、正直、達治の稼ぎでは、どちらにも手厚くというのはなかなか難しかったと思います。ただ、その一方で、詩人の佐藤惣之助の葬儀で慶子と再会した際には、「お金には困らせない」的な発言もありました。となると、達治としては、三国での生活が金銭的に苦しくても、「愛」で何とかなるといった思いはあったんでしょうか?

東出:本人が求める「良妻とはこうあるべきだ」という像が実現可能であるとするならば、三国での生活が破綻することはないと達治は考えていたのではないでしょうか。それはすなわち、お金や食べ物がふんだんにある生活というものではなく、「質素倹約を旨とし困窮をものともせず、達治が集めた書や骨董などに囲まれながら慶子が筝を奏でる」といった生活だと台本には記されていました。

――耽美な世界ですね。

東出:つまり、達治としては自身がこだわりを持って集めた品々に囲まれて生きていく中で慶子が満足するという生活を想定していたことになるでしょうか。達治が慶子に言い寄る際に「不自由させない」という趣旨のセリフを言ったのは、達治が言う「豊かさ」を踏まえてのセリフなので、達治は本心でそのセリフを言っていたんです。ただ、慶子は必ずしもそのような生活を想定していたわけではなかったので、いさかいが絶えなかったというのはあると思います。

「過ちだと後から指摘するのは簡単」


映画公開の際には、ロシアとウクライナの紛争に思いを致す瞬間があったという

   三好達治は詩集「測量船」をはじめとする叙情的な作風で知られていたが、同時に、第2次世界大戦中には国民の戦意を高揚させることを目的とした「戦争詩」を多数発表している。

――達治は心ならずも、それこそ、「生活のために」戦争詩を書きましたが、仮に、東出さんが当時貧乏な俳優だったとして、戦争を礼賛する作品への出演依頼が来たら出演なさいますか?

東出:それは、後世の僕だから「戦争とは大きな過ち」だと思って、「出演しない」と言えますが、当時、自分が生まれていたとしたら、その答えは何とも......。ただ、作品中ではそれこそ、達治は糊口をしのぐために書いていたという描写がメインになっていますが、史実では、当時の他の文化人よろしく、それなりに「主体的」に戦争詩を書いていました。そのため、作中では達治が、自らの言葉が弾となって戦意高揚に資すれば良いという意味のセリフを言うシーンがあるぐらいです。

――実は、「心ならずも」ではなかったと。

東出:そう、だから、そこが非常に難しいところなんです。映画には達治が師匠の萩原朔太郎から、作風が好戦的ではないかと指摘されるシーンがありますが、その際の達治の反論は、どこか言い訳がましいものになっています。このシーンの最後では、朔太郎が「君は、どこか嬉しそうだね」と指摘し、その結果、達治は自らのイデオロギーが実は好戦的なものであることに気付くんです。

――なかなか、ねじくれてますね。

東出:だから、後世に生きる僕は、それこそ、「戦争とは大きな過ちだ」と即答できますが、歴史ってすごく難しいと思うのは、過ちだと後から指摘するのは簡単だし、実際、そのような指摘はよく上がります。「あの人はあの時に間違えた」「この人はこの時に間違えた」といったものが。でも、その一方で、「間違いに行かなかった決断」って、あんまり世の中から評価されていないんじゃないかって思うんです。

――その当時の決断によって導き出した最適解と後からの検証による最適解は、必ずしも一致しないと。

東出:だから、現代に生きる僕も今後も過ちを犯す可能性はあるだろうし、それは世の人々もそうだと思うんですけど、その一方で、今作を見ることによって歴史からは学べると思うので、今後、僕らは間違えないように生きていけるという希望は抱いて良いと思うんです。そう考えると、今年始まったロシアとウクライナの紛争がまだ終わっていないこの時期に「天上の花」が公開されたことで、偶然とはいえ、映画に何らかの「使命」が発生しているのかなという思いはあります。
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