「過ちだと後から指摘するのは簡単」
三好達治は詩集「測量船」をはじめとする叙情的な作風で知られていたが、同時に、第2次世界大戦中には国民の戦意を高揚させることを目的とした「戦争詩」を多数発表している。
――達治は心ならずも、それこそ、「生活のために」戦争詩を書きましたが、仮に、東出さんが当時貧乏な俳優だったとして、戦争を礼賛する作品への出演依頼が来たら出演なさいますか?
東出:それは、後世の僕だから「戦争とは大きな過ち」だと思って、「出演しない」と言えますが、当時、自分が生まれていたとしたら、その答えは何とも......。ただ、作品中ではそれこそ、達治は糊口をしのぐために書いていたという描写がメインになっていますが、史実では、当時の他の文化人よろしく、それなりに「主体的」に戦争詩を書いていました。そのため、作中では達治が、自らの言葉が弾となって戦意高揚に資すれば良いという意味のセリフを言うシーンがあるぐらいです。
――実は、「心ならずも」ではなかったと。
東出:そう、だから、そこが非常に難しいところなんです。映画には達治が師匠の萩原朔太郎から、作風が好戦的ではないかと指摘されるシーンがありますが、その際の達治の反論は、どこか言い訳がましいものになっています。このシーンの最後では、朔太郎が「君は、どこか嬉しそうだね」と指摘し、その結果、達治は自らのイデオロギーが実は好戦的なものであることに気付くんです。
――なかなか、ねじくれてますね。
東出:だから、後世に生きる僕は、それこそ、「戦争とは大きな過ちだ」と即答できますが、歴史ってすごく難しいと思うのは、過ちだと後から指摘するのは簡単だし、実際、そのような指摘はよく上がります。「あの人はあの時に間違えた」「この人はこの時に間違えた」といったものが。でも、その一方で、「間違いに行かなかった決断」って、あんまり世の中から評価されていないんじゃないかって思うんです。
――その当時の決断によって導き出した最適解と後からの検証による最適解は、必ずしも一致しないと。
東出:だから、現代に生きる僕も今後も過ちを犯す可能性はあるだろうし、それは世の人々もそうだと思うんですけど、その一方で、今作を見ることによって歴史からは学べると思うので、今後、僕らは間違えないように生きていけるという希望は抱いて良いと思うんです。そう考えると、今年始まったロシアとウクライナの紛争がまだ終わっていないこの時期に「天上の花」が公開されたことで、偶然とはいえ、映画に何らかの「使命」が発生しているのかなという思いはあります。