20歳の時に電車事故で右手と両足を失った山田千紘さん(31)は、講演に訪れた先で1人の女性と出会った。同じように事故で両足を切断し、義足のリハビリを始めたばかりだった。落ち込んでいた時、前向きに生きる山田さんの存在を知り、会いたがっていたのだという。女性は山田さんとの出会いを機に、あることを決断する。それを聞いた山田さんは「すごく良いと思う」と背中を押した。この出会いで何を感じたのか、山田さんが語る。
【連載】山田千紘の「プラスを数える」~手足3本失った僕が気づいたこと~ (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)
「一緒に撮った写真、SNSに投稿していいですか?」
手足を失った事故から今年で10年が経ち、当時入院していた国立障害者リハビリテーションセンターで講演する機会を頂きました。その時、直接僕に会いたいという人がいました。事故で両足を切断した20代前半のななこさんは、僕が出版した本を読んでくれて、「励みになっています」と言ってくれました。
ななこさんは義足を履き始めたばかりで、不安を抱えながらもリハビリを頑張っていました。義足はまだ長時間履くことができないけど、「少しずつ慣れていくよ」と話しました。僕が義足のリハビリをしていた時の過ごし方も伝えました。
写真を撮ったり本にサインしたりしたのを含めて、会ったのは15分くらい。「質問したいことがたくさんあったんですけど、緊張して忘れてしまいました」と言っていたので、「じゃあ何かあったらいつでもインスタグラムのDM(ダイレクトメッセージ)で連絡してよ」と言ったら、すぐにDMが来てやり取りしました。
「落ち込んで何もやる気が起きない時に山田さんのことを知り、とても勇気をもらいました。またどこかでお会いできたらゆっくりお話ししたいです」というメッセージをもらいました。そして、「山田さんと一緒に撮った写真、SNSに投稿していいですか?」とも聞かれました。
両足を切断したことをまだ友達の誰にも打ち明けていなくて、僕と会ったのを機に、SNSで友達に知らせようと思っていたそうです。僕は「自分から伝えるのはすごく良いと思う。僕の経験上、さらけ出せば仲の良い友達は受け入れてくれる」と背中を押しました。
実際にななこさんが足の切断のことを発信したら、友達は寄り添ってくれたそうです。やっぱりSNSで発信すると知ってもらいやすい。今回のような現在の境遇のこともそうだし、夢や目標なども、言葉にして知ってもらえば支えてくれる人もいます。1人では越えられない壁も誰かと一緒なら越えられることがあります。経験上そう思います。
自分のプラスが、誰かにとってのプラスに繋がる
僕は手足を切断した当初「誰にも体を見せたくない」と思っていました。自分が一番自分を受け入れられていませんでした。でもこの体を受け入れて、自分からけがのことを伝えたら、変わらず接してくれたり、支えてくれたりする友達ばかりでした。それで救われて前を向くことができました。人生に絶望していた中で今日までこうやって歩んでこられたのは、家族や友人、多くの人たちが支えてくれたおかげだったんです。
入院生活は1人の時間も長かったので、気持ちの浮き沈みが結構ありました。頑張ろうと思っても次の日には塞ぎ込んでしまう。モチベーションの変化は1人ではコントロールできないことが多かったです。だから、ななこさんが一歩踏み出すことができて良かったと思うし、微力ながらそのきっかけになれて僕自身も嬉しく思います。「何かあったらいつでも連絡して」と言ったのは、身近な存在だと思ってほしかったからです。
ななこさんは両足を切断して本当に落ち込んでいたそうでした。2人で撮った写真を僕がインスタグラムに投稿したら、彼女のお母さんが「千紘さんに会えるとわかって本当に喜んでいました。娘の最近で一番良い笑顔です」と言ってくれました。本当に嬉しかったし、これからも誰かに勇気を与えられる存在になりたいと思いました。
僕は手足を3本失ったけど、命を助けられました。そんな僕の人生が誰かのためになることに生きがいを感じます。失ったものは大きいけど、全てをマイナスには捉えていません。前を向いて歩めばプラスを生み出せる。そのプラスが、また誰かにとってのプラスに繋がる。そうやってプラスの連鎖が起きると信じています。
(構成:J-CASTニュース編集部 青木正典)