戦力外通告で「気持ち楽に」 相次ぐケガ、自律神経失調症...元中日の26歳がプロで味わった「苦しみ」

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   主力の阿部寿樹選手、京田陽太選手、平田良介選手を放出するなど、大幅な戦力再編を行った中日ドラゴンズ。2022年10月に戦力外通告を受けた滝野要さん(26)も、今オフにチームを離れた一人だ。

   戦力外通告を受けた日の心情を、滝野さんは「ようやく楽に過ごせるという気持ちになりました」と振り返る。一体何が、彼の気持ちをそうさせたのか。

  • 中日ドラゴンズを退団した滝野要さん(編集部撮影)
    中日ドラゴンズを退団した滝野要さん(編集部撮影)
  • 中日ドラゴンズを退団した滝野要さん(編集部撮影)

「無職となりユーチューバーになりました」

「今年の10月4日に戦力外通告を受けまして、今無職となりユーチューバーになりました。よければチャンネル登録の方、よろしくお願いします!......結構きついでこれ、全然見てくれへんもん」

   10月8日のJR新宿駅前。拡声器越しに、通行人に声をかけ続ける一人の男性がいた。元中日ドラゴンズの滝野さんだ。この日、名古屋から来た滝野さんは、自身のことを知っている人がいないと名古屋に帰れない、というYouTube企画を行っていた。

   「滝野さん!」――。男性が立ち止まって呼びかける。駆け寄る滝野さんに、男性は小学生の頃からのドラゴンズファンだと答えた。もちろん、滝野さんのことも知っていた。「こんなに早く出会えるとは」――。開始3分で、企画は終了した。

   大学卒業後、4年間在籍した中日から受けた戦力外通告。11月17日、J-CASTニュースの取材に、戦力外通告を受けた日の心境をこう明かす。

「これで毎日朝起きなくていい、ようやく楽に過ごせるという気持ちになりました」

   一体何が、彼の気持ちをそうさせたのか。

   滝野さんは1996年、三重県に生まれた。小学生の頃はソフトボールをプレー。硬式野球を始めたのは中学に入ってからだった。小さい頃の性格は「静かなタイプ」。将来の目標は「プロ野球選手か近鉄電車の運転手」だった。

   進学した大垣日大高校で、滝野さんは目覚ましい活躍を見せる。13年(2年生)、14年(3年生)と2年連続で夏の甲子園出場に貢献。特に3年時は不動の4番としてチームを引っ張り、甲子園初戦の藤代高校戦では投手として好リリーフを見せ、最大8点差をひっくり返す逆転勝ちの立役者となった。

憧れのプロ野球選手になっても...抱えていた不安

   今も語り草となっている、甲子園史上最大の逆転劇。滝野さんは当時をこう振り返る。

「最初はレフトで出ていましたが、初回0-5からランニングホームランを献上して、0-8にしてしまいました。正直勝つのは厳しいなと思っていましたが、ベンチに帰ったら『一点一点返していこう』『やってきたこと信じてやろう』という前向きなムードがあり、それが逆転勝ちにつながったんだと思います。球場のお客さんも、最初はみんな藤代が8-0でボロ勝ちするって思っていたと思いますが、徐々に点差が縮まってきて、球場全体が逆転を後押ししてくれているような雰囲気をマウンドで感じていました」

   進学した大阪商業大では4度ベストナインを獲得するなど、リーグを代表する打者として活躍。4年間で6度のリーグ優勝に貢献した。そして、18年ドラフト6位で中日に入団する。同期のドラフト1位には、4球団競合の末に入団した大阪桐蔭高校・根尾昂選手がいた。

   「目標の一つ」だったプロ野球選手になった。しかし、胸中は晴れやかではなかったという。

「色んな人からメールをもらえたりして嬉しかったですけど、神宮大会や全日本選手権では全然結果を出していなかった。プロで通用するかどうか、正直不安がありました」

   ルーキーイヤーのキャンプは一軍で迎えたが、あらゆる面で「壁」を実感する。

「ルーキーなんで意気込んでいくんですが、まず関係者の名前を覚える段階から大変でした。人間関係での気疲れがすごかったです。また、技術的な面はもちろんですが、みんな体力面がすごいです。アマチュアの時は土日だけが試合ですが、プロでは平日も試合がある。試合と練習を毎日やるというのは体力が要ります。周りの選手が『疲れている』って言っても、傍から見ているとそうは見えませんでした。僕は疲れているとスイングが鈍くなったり、走るスピードが落ちたりして、プレーに影響が出てしまう。プレーに影響が出ない最低限のラインの体力、気力を維持できるかどうかが、大事なんだと感じました」

「なんで眠れないんだろう」

   開幕2軍で迎えたルーキーイヤーの4月には、外野守備中に左ひざ靭帯損傷の怪我を負った。最終的に1年目の一軍出場はゼロ。秋のフェニックスリーグでも負傷し、貴重なアピールのチャンスを逃した。

「4月の靭帯損傷は、もともと足の状態が悪い中で負ってしまったものです。今思うと、一生懸命やりすぎていたのかなと思います。やっぱり抜くところは抜くというか、うまいことやるのが大事だったんだと思いますが...。自分ができるなりにケアはしていましたが、疲れが取り切れていないことも多かったです」

   厳しい競争に勝たなければならない――。そんな意識が、滝野さんを追い詰めていく。

「疲れているのに目が覚めて眠れないという症状が出るようになり、『なんで眠れないんだろう』と思えば思うほど眠れなくなる悪循環にはまっていきました。眠れていない不安は『打てるかな』『今日一日無事に過ごせるかな』という新たな不安につながり、どんどん自分で自分を追い詰めるようになっていました」

   1年目の10月には病院を受診し「適応障害」「抑うつ状態」の診断を受けた。就寝時には睡眠導入剤も頼った。「周囲との差を一気に埋めるのは難しい」「一日一歩でも成長できればいい」――。「常に100%」だった気持ちを、現実的なレベルに切り替えるようにした。

   2年目の20年にプロ初ヒットを放ち、はじめて開幕一軍を掴んだ21年。「与田(剛)監督に一番チャンスをいただいていた年」と振り返るも、期待には応えられず、38試合の出場で打率1割と低迷した。長く試合に出場していない時期があったことから、一部メディアで「規律違反」を犯したと報じられた。のちに誤報と判明したが、実際には何があったのか。

「新型コロナウイルスのワクチンを打った後から気持ちが落ち込み 、一週間くらい休んでいたんですね。そういう時に報道が出た。僕は何も悪いことをしていなかったので、すぐに球団に連絡しました。でも、精神的に落ちていた時だったんで、そういうことを書かれて、ツイッターとかでも『何したんだ』とか言われたりして...悲しい気持ちにはなりましたね」

戦力外通告→即YouTubeデビュー

   自身の精神的な不調を周囲に打ち明けることは「ほとんどしてこなかった」という滝野さん。与田監督から立浪和義監督に変わった22年は、打率3割をマークするも、出場試合数は前年の3分の1以下となる11試合に終わった。

   10月3日、球団から電話で連絡があり、翌日球団事務所で戦力外通告を受けた。「9月の2軍の試合の使われ方で、ある程度覚悟はしていた」という。胸中は、精神的な不調に苦しんだプロ生活からの解放感に満ちていた。

「プロ野球に入りたいという人が多い中で、こんなことを言うのは失礼かもしれませんが、これで毎日朝起きなくていい、ようやく楽に過ごせるという気持ちになりました」

   そして、滝野さんは驚きの行動を見せる。球団から戦力外通告を受けた日の様子を動画に収め、その日のうちに始めたばかりのYouTubeチャンネルに投稿したのだ。

「現役時代からうっすらとですが、YouTubeをやってみたいと考えていました。ただ、自分の名前はドラゴンズファンの一部にしか知られていない。戦力外通告当日に動き出さないと、多くの人に知ってもらう機会を逃してしまうと思い、球団から連絡があった前日に動画を撮ることを決めました」

   ねらいは当たり、初投稿の動画はいきなり80万回再生を記録。メディアにも活動が取り上げられ、野球ファンの間で話題を呼んだ。その後はラーメン店のメニュー開発やパン屋の1日店長企画など、「元プロ選手」の顔を活かした幅広いジャンルの動画を投稿し、精力的に活動を続けている。

   そして、自律神経のバランスが乱れる「自律神経失調症」を患っていることも積極的に発信。同じ自律神経の不調などで18年に福岡ソフトバンクホークスを退団した川崎宗則選手(栃木ゴールデンブレーブス)とのキャッチボールや対談動画も投稿した。

「僕の精神の調子が悪かった21年8月頃、球団関係者の方に川崎さんを紹介してもらいました。今年1月には一緒に自主トレをしてお世話になりました。全然関係ないチームの選手なのに、本気で心配してくれたり、自分の事を考えてくれたり、僕の中では師匠みたいな存在です。今後も一緒に何かをさせてもらえる機会があれば嬉しいです」

日本球界のメンタルケア「まだまだ遅れている」

   プロ時代は悩みをあまり周囲に打ち明けてこなかった滝野さん。中日を退団した今、野球界に対して感じたことがある。選手が抱えるメンタルの悩みへの理解の少なさだ。

「日本の野球界は、選手のメンタル面への理解がまだまだ遅れていると思います。プロ野球は大きなストレスがかかる世界。自分の他にも、メンタル面の悩みを抱えている選手は多いと聞いています。でも『メンタルの悩みを言ったら弱いと思われてしまう』と思って、何も言わないようにしている選手がほとんどではないでしょうか。実際に『悩みを吐く選手は弱い』と捉えられてしまう風潮はあると思います」
「メジャー経験のある川崎さんからは『海外ではメンタルに悩む選手たちがいっぱいいて、精神安定剤を服用したり、緊張するからといって薬を飲んで試合に行ったり、そういうケースも普通にあるよ』と聞きました。そこは日本と全然違うなと思いました」

   滝野さんの動画に寄せられるコメントには、同じ自律神経失調症を患う人からの励ましの声が目立つ。

「応援してくれているコメントや、僕の動画を見て『元気もらってます』と言って下さることはありがたく、僕にとっての励みにもなっています。心の病気は目に見えないので、なかなか周囲に分かってくれる人がいません。僕自身も治ったわけではないですし、まだ調子がいいとき、悪いときの差はあります。これからも症状と戦いながら、せめて元気のいいところだけでも見せられればいいかなと思います」

   中日退団後はYouTube上の活動だけでなく、学校の講演会やイベントにも呼ばれている滝野さん。「本当に野球しかしてこなかったので、いろいろやりたいことがあります。いろいろ勉強をしたいです。毎日毎日、生きているだけで勉強です。自分の活動を通じて、誰かに何かを思ってもらえる存在であれたらいいなと思っています」

   11月26日、滝野さんは名古屋の社会人野球チーム「BLITZ」に所属することをYouTubeで表明した。「現役続行」を決めたのは、「野球で燃え尽きたい」という思いからだった。

「野球で完全燃焼していない。燃え尽きていない。将来高校野球の監督を目指しているんですけど、このままだとまだ理想像に追いつかない。野球を、燃え尽きるまでさせていただいて、将来の選手の育成に、色々な経験を活かせて行けたらいいなと思っています」

(J-CASTニュース記者 佐藤庄之介)

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