憧れのプロ野球選手になっても...抱えていた不安
今も語り草となっている、甲子園史上最大の逆転劇。滝野さんは当時をこう振り返る。
「最初はレフトで出ていましたが、初回0-5からランニングホームランを献上して、0-8にしてしまいました。正直勝つのは厳しいなと思っていましたが、ベンチに帰ったら『一点一点返していこう』『やってきたこと信じてやろう』という前向きなムードがあり、それが逆転勝ちにつながったんだと思います。球場のお客さんも、最初はみんな藤代が8-0でボロ勝ちするって思っていたと思いますが、徐々に点差が縮まってきて、球場全体が逆転を後押ししてくれているような雰囲気をマウンドで感じていました」
進学した大阪商業大では4度ベストナインを獲得するなど、リーグを代表する打者として活躍。4年間で6度のリーグ優勝に貢献した。そして、18年ドラフト6位で中日に入団する。同期のドラフト1位には、4球団競合の末に入団した大阪桐蔭高校・根尾昂選手がいた。
「目標の一つ」だったプロ野球選手になった。しかし、胸中は晴れやかではなかったという。
「色んな人からメールをもらえたりして嬉しかったですけど、神宮大会や全日本選手権では全然結果を出していなかった。プロで通用するかどうか、正直不安がありました」
ルーキーイヤーのキャンプは一軍で迎えたが、あらゆる面で「壁」を実感する。
「ルーキーなんで意気込んでいくんですが、まず関係者の名前を覚える段階から大変でした。人間関係での気疲れがすごかったです。また、技術的な面はもちろんですが、みんな体力面がすごいです。アマチュアの時は土日だけが試合ですが、プロでは平日も試合がある。試合と練習を毎日やるというのは体力が要ります。周りの選手が『疲れている』って言っても、傍から見ているとそうは見えませんでした。僕は疲れているとスイングが鈍くなったり、走るスピードが落ちたりして、プレーに影響が出てしまう。プレーに影響が出ない最低限のラインの体力、気力を維持できるかどうかが、大事なんだと感じました」