航空関連会社で働く山田千紘さん(31)は先日、1985年8月に起きた日航ジャンボ機墜落事故現場の御巣鷹山(群馬県上野村)を慰霊登山した。自身は10年前、電車事故で右手と両足を切断している。御巣鷹山にはかねて登山したいと考えており、特別な意味合いを感じていたという。
登山を経て「安全に対する意識」が高まったという山田さん。義足の両足で登りきり、感じたこと、改めて考えたことを語る。
【連載】山田千紘の「プラスを数える」~手足3本失った僕が気づいたこと~ (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)
以前からすごく行きたい思っていた
縁あって10月、御巣鷹山の慰霊登山に行ってきました。以前からすごく行きたい思っていたけど、この体なので1人では登山ができず、ずっと行くことができていませんでした。今回マンツーマンでついてくれると言ってくれる方が会社にいたので実現しました。
両足義足で登るのが大変なのは分かっていました。でも、体を支えてくれる人がいればどうにか登れるだろうと思いました。登山口からは大人なら40分くらいで登れると聞いていました。
登山道中、2回ほど本当に滑り落ちそうになりました。勾配が急だったり、整備されていなかったりするところがあって、体のバランスを取るのも難しかったです。階段などで手すりが右側だけにある場所もありました。僕は右手がないから掴めなくて、サポートの方の腕や肩に掴まって進みました。「かかる重さが半端じゃない」と驚かれながら、力を入れてどうにか登っていきました。
この日はまだ暑くて、30分くらいですごく汗をかきました。義足の靴下のような役割を果たす「ライナー」の中が蒸れて、汗だくになりました。途中2回ほど休憩し、汗をふいて義足を履き直しました。
石碑が建っている「慰霊の園」で手を合わせました。亡くなった520人の方全員の名前が彫られていました。慰霊碑の「昇魂之碑」も訪れました。そうして2時間以上かけて登山・下山しました。
1か所1か所踏みしめるように歩きました。花が綺麗に手向けられていました。37年経った今も多くの人の思いが詰まった場所なんだと、迫ってくるものを感じました。
登山経て高まった「安全に対する意識」
僕自身、右手と両足がなくなった原因が事故だったので、事故というものにすごく敏感です。御巣鷹山の登山には特別な意味合いを感じていました。
実際に現場の山を登って感じるものは多かったです。520人の方が事故で突然命を落とした。ご遺族も人生が変わった方が多いと思います。全く違う事故だけど、僕も20歳で事故に遭い、人生が変わった身として、何とも言えず居たたまれない心境になりました。命の重みを感じました。
僕は電車にひかれ、生死の境をさまよいました。救助が1時間遅れていたら、出血多量で死んでいたかもしれませんでした。突然命を落としていたかもしれない。いろんな人の力で奇跡的に生かされたんだということを改めて感じました。
御巣鷹山登山を経て高まったのは「安全に対する意識」でした。安全について考えるべき場面は、日常生活の中にいくつもあります。自分についても、大切な人についても、身の回りの安全に対する意識を高めたいと思いました。
飛行機や電車、車といった乗り物の安全はもちろん、自然災害に備えることも安全を考えることに繋がると思います。それに僕の場合は手足が3本ないので、身の危険がある場面は多いです。日常生活レベルでいえば坂道、階段、雨で濡れただけの路面でも慎重になります。
それでも慣れてしまうと、生活の中で意識して安全について考えることはあまりなくなっていきます。今回、墜落事故の現場へ行き、お亡くなりになった方がいるという事実に直面したことで、安全や命の重みを考える大きな機会になりました。僕自身、事故に遭った経験があるからこそ強く思います。
(構成:J-CASTニュース編集部 青木正典)