NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」の放送が終わった。ドラマは沖縄出身の主人公・比嘉暢子(黒島結菜さん=25)が料理人になる夢をかなえ、最終的には故郷で料理店を開業するというストーリーだった。
放送期間中には、「#ちむどんどん反省会」なるハッシュタグが登場。視聴者からは、ストーリー展開や登場人物の行動に対する疑問やツッコミ、ダメ出しなど様々な意見が相次ぎ、放送期間中のネットを日々騒がせてきた。
そんな同作は、朝ドラウォッチャーの目から見てどう映ったのか。J-CASTニュースは、書籍「ネットと朝ドラ」(blueprint)を上梓したライターの木俣冬氏にインタビューを行った。
(J-CASTニュース編集部 坂下朋永)
「SNSで朝ドラについて語りたがる人」が大幅に増えた
木俣氏は2013年度前期の「あまちゃん」から、朝ドラレビューをネット上で週1回のペースで始め、15年度前期の「まれ」からは連日の朝ドラレビューを開始するなど、朝ドラに詳しいライターとして知られる。
編集部がまず聞いたのは、「ちむどんどん」の視聴者からの注目のされ方についてだった。
――「ちむどんどん」は回を追うごとと言っては難ですが、徐々にアンチが増えていって毎日SNS上でダメ出しが行われるようになってしまいました。やはり、「ちむどんどん」の注目のされ方は特異なものだったのでしょうか?
木俣:朝ドラの「アンチ」というものが、これまでになく注目を集めたという点で言えば、特異だったと言えるでしょう。そもそも、朝ドラというものは賛否両論が巻き起こりやすいドラマで、「賛」の人はもちろん、アンチたる「否」の人も何だかんだ言いながら、ドラマに関心を抱きながら放送を見るものなのです。
――そういうものなんですね!
木俣:SNSが普及したためでしょうけれど、この10年ほどで「SNSで朝ドラについて語る人」が大幅に増えました。分かれ目としては、13年度前期の「あまちゃん」からですね。その結果として、「賛」の声はもちろん、「否」の声も可視化されるようになりました。その後も「朝ドラ語り」をする人は増えていきましたが、そうなれば当然、「否」の声の数自体も増え続け、その結果として、アンチが可視化されるまでに「否」の声の数が膨れ上がっていきました。その膨れ上がった様子がニュースにまでなったのが、「ちむどんどん」だったということなのではないでしょうか。
――なるほど。
木俣:数が増えることで、アンチの存在が悪目立ちするというか、際立ってしまった。その結果、それがニュース化されてしまい、今まで朝ドラに関心を持ってこなかった人々がニュースでアンチの存在に気付き、「ちむどんどんが炎上している」と認識してその話題をSNSで拡散。密かに行われていた「#ちむどんどん反省会」というハッシュタグで視聴者たちが語り合う活動に参加する現象が起きたように思います。そのような意味では、「ちむどんどん」は朝ドラ史上、特筆すべき作品となったのではないかと思います」
――となると、「朝ドラが炎上する」という現象自体は「ちむどんどん」が初めてではないということでしょうか?
木俣:例えば、18年度前期の「半分、青い。」も、主人公・楡野鈴愛(にれの・すずめ)の態度が自由奔放すぎるとする視聴者からの声がSNSに渦巻いていました。それを踏まえつつ朝ドラ語りが盛んになってきた「あまちゃん」からの朝ドラを振り返ってみると、「半分、青い。」ではそれまでの作品よりもSNSでの賛否が明確になってきたという印象を受けました。そういう意味では、「半分、青い。」はアンチが可視化される一歩手前まで来ていた、つまり、過渡期に放送された作品と言えるかもしれません。
――なるほど。そう考えると、「半分、青い。」は「ちむどんどん」のように「炎上していることがニュースになる」という状況にまでは必ずしもならなかったと思うのですが、その理由は何でしょうか?
木俣:これはあくまで私が受けた印象なんですが、「半分、青い。」が大炎上するまでは至らなかったのは、脚本を担当していた北川悦吏子さんが、毎日の放送後にツイッターで、裏話や脚本家の想いなど、視聴者の理解の助けになる情報を高い頻度で発信されていたというのは理由の1つとして挙げられるかもしれません。一方の「ちむどんどん」ですが、放送開始直前にはNHKのドラマ公式ページで、脚本を担当した羽原大介さんが「一生懸命歩んでいく四兄妹の姿に"ちむどんどん"してください」というタイトルのインタビューで作品の意図を紹介する情報発信を行ったものの、放送開始後は羽原さんが自身のツイッターで、北川さんのような勢いで情報発信を行われるということはありませんでした。
――そこに違いがあると。
暢子は朝ドラのヒロインらしくなかったし、他の登場人物も「らしく」なかった?
「テレビ番組のアンチが可視化される」という、SNS全盛のこの時代を象徴するかのような出来事が起きていたと語った木俣氏。
「ちむどんどん」はストーリーに対してはもちろん、主人公を含む4兄妹についても視聴者がさまざまな意見をSNSにアップしていた。その中には、主人公たちの性格に関する厳しい声も多々見られた。
木俣:視聴者の皆さんが朝ドラの主人公や、その脇を固めるキャラクターに対して「こうあってほしい」と思う人間像に、「謙虚で利他的な姿」というものがあります。しかし、比嘉家の人々は、大森南朋さん演じる父親・賢三以外の人々は自己主張が強く、自分自身を最優先しがちでした。ドラマ開始直後は比嘉家の中で優等生的な立ち位置にいた、川口春奈さん演じる良子ですら第34回では自身の縁談を直前になって破談にしてしまい、最終的には我を通すことを選びました。このような姿を見た視聴者としては、やはり、「ん?」と思ってしまったのではないでしょうか。そのことに関して制作者側がもう少し情報発信をしていたら、なるほどそういう意図があったのかと収まったかもしれません。自由に見てもらおうというお気持ちだったのだとは思いますが。制作者がこういうふうに見てというのもやりすぎると好まれなくなることもありますから。
――他に、「ちむどんどん」に対して視聴者がイラついてしまった要素はあるでしょうか?
木俣:主人公一家たる比嘉家の人々のお金の扱い方が、物語の中でどのような意味を持つのかという描写が不十分で視聴者からの不興を買ったという面はあると思います。お金に関するトラブルの多くは竜星涼さん演じる長男・賢秀が起こしていましたが、賢秀というキャラクターは、沖縄の男性にありがちとされるおおらかな性格を表現する役割を担っていたようにも感じられるので、賢秀のお金に対するルーズさもその一部のように描かれていたのかもしれませんが、そこは切り分けて見せてほしかった気がします。
――では、これらの不満の声が出ないようにするにはどうすれば良かった?
木俣:朝ドラでは、2015年度後期の「あさが来た」のように、主人公姉妹の性格や環境を正反対にして、姉が忍耐するタイプなら妹は自由奔放のような役割分けを行うという手法がよく取られます。ところが、「ちむどんどん」は4兄妹おしなべて自分を通す性格でした。上白石萌歌さん演じる三女の歌子が病弱で控えめなのかと思ったら彼女も仮病を使って意思を通すなどちゃっかりしていたので戸惑った視聴者もいたようです。あくまで外野の考えですが、自己主張の強い人物と謙虚で利他的な人物を混在させればバランスが取れたような気がします。
――暢子に関しては、作中でたびたび本人が放つ「まさかやー!」がうるさいという、「主人公が大声で驚きすぎ」的な批判も多く寄せられました。
木俣:「まさかやー!」は登場人物に対して決め台詞を与えることで、キャラクターを際立たせる役割もあったと思います。舞台となっている地域で使われている言葉でキャラ付けした例で大反響を呼んだ例としては、「あまちゃん」の「じぇじぇじぇ」があります。
「ちむどんどん」は、何週にもわたって沖縄戦を描く必要はなかった
沖縄の本土復帰50年にあわせた「ちむどんどん」に対しては、「もっと沖縄戦を扱ってほしい」「もっと米軍基地を扱ってほしい」といった不満も出ていたが、木俣氏はこれらの要素の扱い方の大きさは、それほど問題なかったのではないかと指摘した。
木俣:第15週では沖縄戦の遺骨収集がテーマでした。それもあってか、「不十分ではなかった」とする声があったのも事実です。他にも第6回では賢三の葬儀の列が映るシーンで、米軍機を意識したと思われる「キーン」という飛行機が飛ぶような効果音が挿入されていました。
――そんなシーンがあったんですね!
木俣:沖縄の歴史に関する描写が不十分だと感じた声には、遺骨収集や、最終回間近の第122回で草刈正雄さん演じる沖縄戦の当事者たる男性のエピソードにもっとたくさんの放送回を割くべきだったという声もありました。視聴者の中には「もっとたくさんの情報を与えてくれる作品を見たい」と思っている方々もいます。ただ、「ちむどんどん」は仲間由紀恵さん演じる暢子の母親・優子の人生を描く物語ではなく、戦後生まれの暢子の人生を描く物語ですから、沖縄戦の歴史が物語の一要素に留まるというのは、それほど不自然ではなかったと思います。
――確かに。
木俣:例えば、自分のことに置き換えて考えてみると、夏休み中の8月に親の実家に帰省して、終戦記念日が近いからと祖父から悲惨な従軍経験の話を聞いて、「大変な時代だったんだな」と戦時中に思いを馳せても、その後、毎日そのことばかり考えて人生を歩んでいくことはなかなか出来ません。ただ、時々、聞いた話をフッと思い出すようになったり、それをきっかけに戦争について学ぼうと思うようになったりすることはありえます。だから私は、「ちむどんどん」は何週にもわたって沖縄戦を描く必要はなかったのかなと思います。
「前の朝ドラの要素を取り入れる」というのは、朝ドラにはよくある手法
――木俣さんは22年9月に「ネットと朝ドラ」を出版なさいましたが、そこには、17年度前期の「ひよっこ」以降、朝ドラは新しい時代に入ったということで、同作以降を「ドラマをSNSを通し視聴者それぞれが朝ドラ語りを細分化していく時代」と位置付け、「朝ドラ3.0」という名前で現在を名付けていらっしゃいます。「ちむどんどん」の注目のされ方は、正しく、「朝ドラ3.0」そのものだったのでしょうか?
木俣:「ちむどんどん」でドラマと視聴者の関わり方がこんなにも激しく密接になったのでなにか名付けぬわけにはいられませんでした。あくまで便宜的なものですが。この状況は、まさしく、「朝ドラ語り」が推進力となっていたのだと思います。というのも、10月に入って「舞いあがれ!」の放送が始まっても、ツイッター上には「#ちむどんどん後遺症」などというハッシュタグが出てくるぐらいですから、視聴者がいまだに「ちむどんどん」について語っているのがよく分かります。
――ちなみに、視聴者がいかに「ちむどんどん」を引きずっているかが分かる「症例」になるかと思いますが、10月4日に放送された「舞いあがれ!」の第2回で、主人公・岩倉舞が幼少期に原因不明の熱を出して寝込むシーンがありましたが、これを見た視聴者から、「ちむどんどん」を思い出したとする声が上がりましたね。
木俣:過去の朝ドラの要素を取り入れるというのは、朝ドラにはよくある手法です。たまたま重なったとしても、「ちむどんどん」の反響などを鑑みて、「舞いあがれ!」の制作陣が重なりを回避しようと思えば、できた気がしますが、偶然か意図的なものか気になりますよね(笑)。
――となると、「舞いあがれ!」の制作陣は「#ちむどんどん後遺症」というハッシュタグが出現することを予測しつつ、作中に発熱の要素を入れてきたのかもしれませんね(笑)。
「文句のつけようがないドラマ」だと、視聴者は思考停止に陥る
インタビュー終盤、木俣氏は「ちむどんどん」が放送されたことにはどんな意義があったのかについて語り始めた。
木俣:「ちむどんどん」が好きな人もいる一方で、反省会や後遺症というハッシュタグで語る人たちも目立ったことについて、思ったことがあります。もし仮に、反省も後遺症も感じない、登場人物たちが「謙虚で利他的」「お金に対して律儀」で、沖縄の歴史を丁寧に描いたドラマができあがったとしたら、視聴者は満足するとは思うんですが、この半年、余白があったことによって、あれこれ考えましたよね。実際、この半年、視聴者は毎日15分間、沖縄について考えたと思うんです。そういう意味で「ちむどんどん」が放送されたことは、視聴者に対して、沖縄について考える機会を与えたという点で意義深い作品だったのではないでしょうか。
――なるほど! 制作側が「視聴者に対して何かを考えさせたい」と思うならば、王道の朝ドラだとその目的は達成できないということになりますね。
木俣:私は朝ドラの王道のストーリーといった、いわゆる「いい話」も大好きですが、毎回、同じようなものが続くよりは、たまに違う角度から描いたものがあってもいいのではないかとは思います。
――そうなると、「ちむどんどん」は沖縄返還50周年たる2022年に放送されるにふさわしいドラマだったということでしょうか?
木俣:それを私が言うのは、沖縄に住んでいるわけではないし、普段から沖縄を研究しているわけでもないので非常におこがましいことです。ただ、ドラマを見ながら自分に起きた変化としては、記事を書くべくさまざまなことを調べた結果、沖縄に関する知識をアップデート出来たというのはあります。それと、自分と違う価値観にどう寄り添うか、あるいは、自分の考えを、違う価値観をもった人にどう伝えるかについても改めて考えるようになりました。そういう意味では「ちむどんどん」に対しては、「放送してくれてありがとう!」という思いは抱いています。
木俣冬さん プロフィール
きまた・ふゆ フリーライター。ノベライズ作家。テレビドラマ、映画、演劇に関する取材、論評などを行う。2022年9月には書籍「ネットと朝ドラ」(blueprint)を上梓。ヤフーニュース個人オーサー。