「文句のつけようがないドラマ」だと、視聴者は思考停止に陥る
インタビュー終盤、木俣氏は「ちむどんどん」が放送されたことにはどんな意義があったのかについて語り始めた。
木俣:「ちむどんどん」が好きな人もいる一方で、反省会や後遺症というハッシュタグで語る人たちも目立ったことについて、思ったことがあります。もし仮に、反省も後遺症も感じない、登場人物たちが「謙虚で利他的」「お金に対して律儀」で、沖縄の歴史を丁寧に描いたドラマができあがったとしたら、視聴者は満足するとは思うんですが、この半年、余白があったことによって、あれこれ考えましたよね。実際、この半年、視聴者は毎日15分間、沖縄について考えたと思うんです。そういう意味で「ちむどんどん」が放送されたことは、視聴者に対して、沖縄について考える機会を与えたという点で意義深い作品だったのではないでしょうか。
――なるほど! 制作側が「視聴者に対して何かを考えさせたい」と思うならば、王道の朝ドラだとその目的は達成できないということになりますね。
木俣:私は朝ドラの王道のストーリーといった、いわゆる「いい話」も大好きですが、毎回、同じようなものが続くよりは、たまに違う角度から描いたものがあってもいいのではないかとは思います。
――そうなると、「ちむどんどん」は沖縄返還50周年たる2022年に放送されるにふさわしいドラマだったということでしょうか?
木俣:それを私が言うのは、沖縄に住んでいるわけではないし、普段から沖縄を研究しているわけでもないので非常におこがましいことです。ただ、ドラマを見ながら自分に起きた変化としては、記事を書くべくさまざまなことを調べた結果、沖縄に関する知識をアップデート出来たというのはあります。それと、自分と違う価値観にどう寄り添うか、あるいは、自分の考えを、違う価値観をもった人にどう伝えるかについても改めて考えるようになりました。そういう意味では「ちむどんどん」に対しては、「放送してくれてありがとう!」という思いは抱いています。
木俣冬さん プロフィール
きまた・ふゆ フリーライター。ノベライズ作家。テレビドラマ、映画、演劇に関する取材、論評などを行う。2022年9月には書籍「ネットと朝ドラ」(blueprint)を上梓。ヤフーニュース個人オーサー。