立憲民主党は2022年10月18日の常任幹事会で、党本部の所在地を千代田区平河町の「ふじビル」から同永田町の「三宅坂ビル」に移すことを決めた。三宅坂ビルは民主党や後身の民進党、旧国民民主党が党本部を置いてきた。
17年に民進党から分裂する形で発足した旧立憲は、一度は三宅坂ビルから離れたが、20年に旧国民と合流し、新立憲が発足したことで「別館」として再入居。それ以降、大半の職員が三宅坂ビルに勤務しているが、郵便物がふじビルに届くなど実務上の問題も生じていた。「実態を表した住所でなければおかしい」(岡田克也幹事長)として変更を決め、実態も名目上も民主党時代に回帰することになった。
与党時代の2009~12年も党本部だった
民主党は1996年の結党時は虎ノ門の雑居ビルに党本部を構えたが、国会から遠い上に手狭だったため、翌97年に三宅坂ビルに移転した。三宅坂ビルは、地上10階・地下2階建てで65年に完成した雑居ビル。移転当初は「三宅坂」が社会党(社民党)の代名詞だとして、気をもんだ関係者も多かった。ただ、社民党本部があった「社会文化会館」は2013年に取り壊され、今では隅田川沿いの物件に引っ越している。
党勢によってフロア数の増減はあったものの、与党だった09~12年も移転せず、民主党本部として使用されてきた。特に5階にあるホールは両院議員総会や記者会見の会場として使用され、メディアを通じて国民の目に触れることも多かった。民進党の前原誠司代表が17年の衆院選に向けて希望の党から候補者を擁立する方針を打ち出し、分裂するきっかけになった両院議員総会が行われたのも、この5階ホールだ。
民進党を飛び出して「ふじビル」に党本部を構えた旧立憲は、公示前の16議席から3倍以上になる55議席に躍進。党本部には所属議員全員が集まるだけのスペースがなく、国会内での会合を余儀なくされたことが話題になった。三宅坂ビルは、民進党の後身にあたる旧国民が引き継いだ。
職員の大半は三宅坂ビルで勤務
その後、20年9月に旧立憲、旧国民は解散。所属議員の大半が、合流新党にあたる新立憲に参加し、玉木雄一郎氏ら一部の議員が新国民に参加した。このタイミングで、今度は新立憲が三宅坂ビルに入居し、「別館」として利用を始めた。逆に新国民は三宅坂ビルを出て、平河町のビル「Nagatacho GRiD」(永田町グリッド)に移転した。
所在地変更の手続きは、22年12月1日までに進めたい考え。10月18日に記者会見した岡田氏によると、「結構これ、手続き大変なんですね。各県連や、あるいは総支部の届け出も変えなければいけませんので...」。さらに、すでに立憲の職員の大半が三宅坂ビルで勤務しているとして、
「実態を表すことは重要ですので...。現に郵便物などが全部ふじビルに行って、またそこからまた運ばなきゃいけないとか、そういう弊害も...」
などと話した。
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)