「卒業したって私生きていけないよ」という感覚だった2年前
―― 早速ですが卒業後について聞かせてください。6月28日のイベントでは、「挑戦への3か条」の設問について「ギターの上達」「アクション」「花嫁修業」の3つを挙げていました。一方で、20年1月のインタビューでは、
「私は本当に『こうなりたい』という執着がなくて...、だから『こうなりたい』というよりは、やりたいことを一つずつやって生きていきたいので、辞めたらとりあえず休みを取って、バックパッカーしたいなー。芸能界で何かしたいことと言えば...、あっ、スキャンダルを起こしたい(笑)。私、本当に薄っぺらいんですよ」
と話していました。この頃は、まだ卒業への思いはモヤモヤした感じでしたか。
須田: 当時、ファンの方には「もしも私が卒業を決めることができた日は祝ってほしい」と伝えていたくらい人生に迷っていました。何していいかわからない、自分自身も自分の行き先がわからない、歩いていく道が不安で見つからない、という状態です。ずっとSKE48にいるわけにもいかないし、自分がSKE48以外の場所で生きていくという想像が全くついていなかったので、「それ以外の場所で生きていけるという決意ができたときは祝ってほしい」とファンの方に本気で話し始めた頃でした。まさに「卒業したって私生きていけないよ」という感覚で話していましたね。
―― 2年かけて、いわゆる「外仕事」(グループ外での仕事)も増えてきたし、だんだん卒業へのイメージが固まってきた、といったところですか。
須田: 「自信があるから辞める」という感覚ではなくて、アイドルの肩書きがなくなってしまって、仕事が減ったら嫌だな、ってずっと思っていたんですよ。ですが、今はアイドルという肩書きがなくなって仕事が減ったとしても「また頑張ればいいんじゃない?」、「それを悔しいと思うんだったら、頑張れる私でいられるんだったらいいのかな」って。「どんな自分や現状であっても、受け止めて努力ができるんだったらいいや」と思って、辞めてみようと思いました。生活の中でほとんどSKE48しかなくて、SKE48しか自分の軸にないので、その軸を取っ払う覚悟って、自分でもどうしていいか分からないのですが...。生活リズムや考え方も変わると思うし、だから怖いのですが、大事なものだからこそ手放す価値はあると思って決断しました。