障害者になってから「お金の心配しかなかった」 手足3本失った僕、社会復帰まで2年間の金銭事情

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   20歳の時に事故で右手と両足を失った山田千紘さん(31)が、当時心配していたことの1つは「お金」だった。治療から社会復帰まで何かと費用はかかる。入院してから就職して自力で稼げるようになるまで、要した期間は約2年。その間、どのようにお金の工面をしてきたのか。「救いの手を差し伸べてくれる人たちや仕組みの存在があった」という山田さん。社会復帰までの金銭事情を語る。

   【連載】山田千紘の「プラスを数える」~手足3本失った僕が気づいたこと~ (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)

  • 山田千紘さん
    山田千紘さん
  • 自動車教習所に通っていた2013年当時の山田千紘さん
    自動車教習所に通っていた2013年当時の山田千紘さん
  • 山田千紘さん
  • 自動車教習所に通っていた2013年当時の山田千紘さん

入院から、教習所、職業訓練を終えるまで

   電車事故で障害者になり、入院中に社会復帰のことを考えた時、お金の心配しかなかったです。

   入院費用は両親に面倒を見てもらいました。横浜の病院と、所沢のリハビリの病院とで、合わせて8か月ほどの入院でした。いくらかかったかまでは親から聞かなかったのですが、裕福な家庭ではなかったので申し訳なかったです。

   退院後は自動車の普通免許を取ることにしました。約9年前当時、条件を満たす障害者が指定の教習所で、無料で教習を受けられる制度があることを知りました。退院してそのまま教習所での寮生活を始めました。

   寮ではお金をあまり使わないようにしていたので、親からもらう小遣いで食事もとれていました。寮の友達や寮に来てくれた友達から食べ物をもらうこともありました。そうして2か月くらいで無事、普通自動車免許を取得できました。

   教習所の寮を出たら、そのまま職業訓練校の寮に移りました。寮に1年間住みながら学んでいましたが、ここでも国の制度に助けられました。受給要件を満たしていたので職業訓練受講給付金が受け取れていたんです。月10万円ほどだったと思います。親が受け取り、日々の生活費だけ送ってもらうようにしていて、僕が直接使っていたのは最大でも月に3万円くらいでした。

   寮生活では節約のため、簡単な自炊もしていました。スーパーで5食200円くらいの冷凍うどんと、100円くらいの袋野菜、それに卵を買って、醤油をかけてよく食べていました。あとはグラノーラや冷凍食品。1食あたり200~300円、月単位では2~3万円あれば食事はどうにかなっていました。ただ、親には心配をされたんですよね。だから1人暮らしを始めてから、親を安心させたくて、やったことがなかったけど料理を覚えました。

就職のため1人暮らし、50万円貸してくれた兄

   1年間の職業訓練中に就職活動をし、企業から内定をもらいました。卒業1か月前くらいに1人暮らしをするためのアパートを探したのですが、その時に直面したのが、初期費用として必要なお金がないということでした。事故から約2年間働いておらず、職業訓練の給付金はもらえていたけど、自力で1人暮らしを始められるほどの貯金はありませんでした。

   僕が住むことを決めたのは敷金・礼金ともに家賃1か月分ずつの物件でしたが、家の中で車いすを使う関係で敷金は多めの3か月分払うことになりました。他の費用を含めて初期費用は40万円くらいかかりました。

   困っていた時、兄に相談しました。そうしたら50万円貸してくれたんです。「返せるようになったら、いつか返しに来い」と。本当にありがたかったし、カッコいいと思いました。働くようになってから兄には少しずつお金を返し、今では完済しています。

   一方、ゼロから生活を始めるために、家具や家電も揃えないといけませんでした。その時に助けてくれたのは、多くの友達です。使わなくなった洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器など、必要な物は大体譲ってもらいました。自分で買ったのはベッドとテレビ。それ以外はほぼ、もらい物で生活を始めることができました。

   幸いなことに、引っ越し代も当時の就職先の会社が負担してくれました。30万円くらいかかったと思います。それも本当にありがたかったです。

   車いすは、国や自治体からお金が出る補装具費支給制度を活用し、自己負担は数万円程度で済みました。現在、車いすは6年くらいで交換するのが通常ですが、僕は自宅内でしか使わないし、体型の大きな変化もないので、22歳の時に買ったものを31歳の今も使っています。

   外出時に使う義足と義手も、同様の制度で買っています。自己負担は4万円強くらいでした。最初の義足と義手の費用は両親にお願いして出してもらい、就職して1人暮らしを始めてからは、交換の必要などが生じたら自分で払っています。

僕は人や環境に恵まれている

   両親に出してもらったお金の全額を返すことはできていません。親はお金の話をしなかったのですが、僕に金銭面の心配をさせないようにしたのかもしれません。でも自分で調べると、入院1日でどれくらい必要かということも何となく分かるし、他にもいろんなお金がかかった。以前この連載で話しましたが、僕は障害年金も受給できていません。そのことも含めてお金の負担をかけたことを考えると「本当に親不孝だな」と思います。

   僕としては親に同じ額のお金を返すというより、自分がこの体でこれ以上心配をかけず、自立して何でもできる姿を見せ続けたいと思っています。それが、育ててくれた20年間と手足3本を失って苦労をかけてしまったことへの恩返しだと思って、全力で生きています。

   僕は人や環境に恵まれています。家族や友達、会社や各種制度。お金の面で考えると、救いの手を差し伸べてくれる人たちや仕組みがあったおかげで、事故からの2年間を過ごすことができました。そして社会復帰のスタートラインに立つことができたし、今の僕があります。そのことを忘れてはいけないと思っています。

(構成:J-CASTニュース編集部 青木正典)

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