20歳の時に事故で右手と両足を失った山田千紘さん(31)が、当時心配していたことの1つは「お金」だった。治療から社会復帰まで何かと費用はかかる。入院してから就職して自力で稼げるようになるまで、要した期間は約2年。その間、どのようにお金の工面をしてきたのか。「救いの手を差し伸べてくれる人たちや仕組みの存在があった」という山田さん。社会復帰までの金銭事情を語る。
【連載】山田千紘の「プラスを数える」~手足3本失った僕が気づいたこと~ (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)
入院から、教習所、職業訓練を終えるまで
電車事故で障害者になり、入院中に社会復帰のことを考えた時、お金の心配しかなかったです。
入院費用は両親に面倒を見てもらいました。横浜の病院と、所沢のリハビリの病院とで、合わせて8か月ほどの入院でした。いくらかかったかまでは親から聞かなかったのですが、裕福な家庭ではなかったので申し訳なかったです。
退院後は自動車の普通免許を取ることにしました。約9年前当時、条件を満たす障害者が指定の教習所で、無料で教習を受けられる制度があることを知りました。退院してそのまま教習所での寮生活を始めました。
寮ではお金をあまり使わないようにしていたので、親からもらう小遣いで食事もとれていました。寮の友達や寮に来てくれた友達から食べ物をもらうこともありました。そうして2か月くらいで無事、普通自動車免許を取得できました。
教習所の寮を出たら、そのまま職業訓練校の寮に移りました。寮に1年間住みながら学んでいましたが、ここでも国の制度に助けられました。受給要件を満たしていたので職業訓練受講給付金が受け取れていたんです。月10万円ほどだったと思います。親が受け取り、日々の生活費だけ送ってもらうようにしていて、僕が直接使っていたのは最大でも月に3万円くらいでした。
寮生活では節約のため、簡単な自炊もしていました。スーパーで5食200円くらいの冷凍うどんと、100円くらいの袋野菜、それに卵を買って、醤油をかけてよく食べていました。あとはグラノーラや冷凍食品。1食あたり200~300円、月単位では2~3万円あれば食事はどうにかなっていました。ただ、親には心配をされたんですよね。だから1人暮らしを始めてから、親を安心させたくて、やったことがなかったけど料理を覚えました。