55号ヤクルト村上、60本超えに「怖いのは故障」の声 前日死球で途中交代「避けようがない時もある」

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   2022年9月13日のヤクルト―巨人戦。巨人打線が爆発し、9回表を終わって4-9とヤクルトが敗色濃厚の試合展開だったが、神宮球場のファンは席を立たない。大記録達成の予感を感じていたからだろう。そして、村上宗隆が見事にその期待に応えた。

   9回2死一、二塁の好機で回ってくると、相手守護神・大勢が投じた外角低めの直球を逆方向の左中間に運ぶ55号3ラン。打った瞬間に本塁打と分かる打球に球場がどよめき、村上も確信して打球の方向を見つめていた。4回に菅野智之から54号右越えソロを放ったのに続き、今季12度目の1試合2本塁打をマーク。1964年に王貞治氏(現ソフトバンク球団会長)が巨人時代に樹立した日本人年間最多本塁打記録の55本に並んだ。

  • 東京五輪に出場した村上宗隆(写真:ロイター/アフロ)
    東京五輪に出場した村上宗隆(写真:ロイター/アフロ)
  • 東京五輪に出場した村上宗隆(写真:ロイター/アフロ)

「相手チームの内角攻めもより一層厳しくなるでしょう」

「凄いとしか言いようがない。鳥肌が立ちましたね。途中交代した昨日の状態を考えると、欠場するのではないかと心配されていた。明らかに足を引きずっていましたね。体が強いだけでなくメンタルも強い。重圧を力に変えられるたくましさがある」(スポーツ紙デスク)

   快挙の前日にヒヤリとするアクシデントが起きた。12日のDeNA戦(横浜)で8回に左腕・エスコバーの155キロツーシームが右太腿を直撃。村上は激痛に顔をゆがめ、思わず両膝に手をついた。そのまま出塁したが、明らかに動きがおかしい。攻撃を終えた際に右足を引きずってベンチへ。そのままダグアウト裏に消え、途中交代した。

   患部の状態が心配されたが、バットで不安を払拭した。球団OBのウラディミール・バレンティンが13年に作ったNPB年間最多本塁打の60本塁打まであと5本。残り15試合で達成の可能性は十分にある。

「怖いのは故障だけです。相手チームの内角攻めもより一層厳しくなるでしょう。エスコバーから受けた死球のように避けようがない時もあるので対処法が難しいですが...。ここまできたら60本塁打を超える前人未到の記録を打ち立ててほしいです」(スポーツ紙記者)

   村神様のすべての打席に要注目だ。(中町顕吾)

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