ファッションデザイナーの三宅一生さんが2022年8月5日に亡くなっていたことが分かった。84歳だった。日本が生んだ世界最高のファッションデザイナーであり、海外のマスコミもすぐさま報じた。「イッセイミヤケ」のブランドで一般にも親しまれた三宅さん。その人気とすごさの秘密はどこにあったのか。
新しい服を提案
「機能性と汎用(はんよう)性を兼ね備えた衣服を追求」(朝日新聞)
「機能と美しさを兼ね備えた革新的な衣服を次々と世に送り出し、国内外のファッションに大きな影響を与えた世界的デザイナー」(毎日新聞)
「デザイン性と機能性をあわせ持った革新的な衣服を次々に世に送り出し、国際的に高い評価を受けた」(NHK)
「『イッセイミヤケ』世界で評価」(読売新聞)
各メディアの追悼記事を見ると、いくつかの特徴が浮かぶ。「機能性」「汎用性」「革新的」「デザイン性」「国際的に高い評価」......。
毎日新聞は、「立体重視の西洋式とは対極の『1枚の布』という考え方に基づいて服を製作。刺し子やかすりなど伝統素材も取り入れ、羽織ったり体に巻き付けたりして形が決まる新しい服を提案した」と解説する。
従来の「西洋式」とは異なる発想で、ファッションに取り組み、既存の西欧のファッション界に衝撃を与えたことがわかる。
さらにNHKは、「小さく収納できるのが特徴の『PLEATS PLEASE』や、コンピューターで設計された生地から衣服を切り出す『A-POC』などのシリーズはデザイン性と機能性を追求した作品として世界的に人気となりました」と、三宅さんの革新性を補足する。
「前衛的なスタイルの革新者」
世界的に高く評価された三宅さん。時事通信は、海外主要メディアも9日、三宅さんの死去を速報などで詳しく報じたことを以下のように紹介している。
フランスでは、ルモンド紙が「それまで見ることがなかった素材を使うことで、モードの世界に君臨した」と功績を評価。AFP通信も「前衛的なスタイルの革新者」とたたえた。
英BBC放送(電子版)は、三宅さんの故郷・広島での被爆体験などに触れつつ、「1980年代までには、世界で最も先駆的なデザイナーの一人となった」。米CNNテレビ(同)は、米アップル共同創業者の故スティーブ・ジョブズ氏が新製品発表などの場で好んで着用し、トレードマークともなった黒色のタートルネックが、三宅さんの作品だった逸話も紹介した。
ジャーナリストによるパリコレ人気投票で1位
三宅さんを先頭ランナーとする日本人ファッションデザイナーの当時の活躍ぶりは、1992年12月15日号のアエラ「『パリコレ』飾る3人の日本人」という記事がわかりやすい。
筆者のファッションジャーナリスト、藤岡篤子さんによると、毎年3月と10月に開かれるパリコレクションには、世界から約100人のデザイナーが登場する。日本人は10数人。そのうち特に人気が高いのは、73年にパリ進出を果たした三宅さんと、82年にデビューした川久保玲さんと山本耀司さんの3人。
フランスのモード業界紙「ジャーナル・ド・テキスタイル」は、コレクションごとに、バイヤーとジャーナリストによるデザイナーの人気投票を行っている。
バイヤーには市場性を、ジャーナリストには創造力を占ってもらう。
バイヤーの投票で92年10月は、5位に三宅一生、7位に山本耀司、10位に川久保玲。20位内の日本人は、この3人だけだ。
ジャーナリストの投票では、1位が三宅一生、4位に川久保玲、8位に山本耀司。やはり20位内に他の日本人は入ってこない。16位のアルマーニ、18位のサンローランよりも上位に日本人が入っている。外国人で10位内に3人も入っているのは日本人だけだ。
藤岡さんは、「日本人デザイナーは知性的で前衛的な才能に溢れている、という神話を作り上げた立役者」が三宅さんだった、と書いている。自らがパリコレの開拓者となり、さらに後進の日本人を引き入れた功績も大きかった。
NHKの取材に、学生時代からの友人で、ファッションデザイナーのコシノジュンコさんは、「ファッション界で永遠に名前の残る人だと思う」と語っている。