「ほとんど戦力外」だった藤川球児が阪神「JFK」の一角になるまで 岡田彰布元監督が明かした秘話

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「一番ボールに力があるのは藤川だった」

   阪神からは安藤優也投手と藤本敦士内野手が日本代表に選出され、ウィリアムスがオーストラリア代表に招集された。リリーフ2人が抜けたため五輪期間中に藤川と久保田を代替としてテスト。そこで岡田氏は両者の適性を確認し、05年シーズンから安藤を先発に回したという。

   岡田氏は「一番ボールに力があるのは藤川だった」と振り返り、「JFK」の継投の順番を決めた理由について言及した。当時は7回から「JFK」が機能し、藤川、ウィリアムス、久保田の継投で勝ちパターンを構成した。

「俺ら野手は7回のラッキーセブンってよう言う。野球始めた時からラッキーセブンと言ってた。じゃあ藤川でそのラッキーセブンをガツンと行ったら勢いが付くみたいなね。久保田はイニングを稼げるから9回にしとけば延長になっても10回、11回行けるから。馬力あるから久保田は。藤川は無理やったからね。それでああいう順番になったんですよ」

「JFK」誕生のエピソードを披露した岡田氏は最後に改めて「(藤川の球は)本当に速かった」と当時を振り返った。

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