手足3本失い10年「僕は今、人生を楽しんでいる」 「奇跡で助かった男」は今日も誰かのために発信を続ける

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手足を3本失った僕も、明るく笑顔で楽しく生きていける

   SNSを通じて出会った人はたくさんいます。乙武洋匡さんはじめ、障害があるいろんな人たちとも積極的に会うようになりました。いろんな人からメッセージも届きます。日常を発信しているだけだったけど、それが誰かに勇気を与えることに繋がっていたと、だんだん気付きました。僕の投稿を見た人から「救われた」といった声が届くことが少しずつ増えていったんです。

   手足がない子どもを産んだ母親から、「今後どう育てていけばいいか悲観する毎日だったけど、山田君の頑張りや明るい姿勢を見て救われた」「こういう風に育ってほしい、目標になった」といったメッセージをもらった時、何もしていないのに人の命を救ったような気持ちになりました。

   その中で、発信に対する意識は変わっていきました。僕の投稿を見て、希望を持ってくれる人がこんなにたくさんいる。いろんな人から日々届くメッセージは、発信を頑張りたいと思う力になっていきました。「手足を3本失った僕も、明るく笑顔で楽しく生きていける」。それを発信することの意味を感じたんです。

   目標にしていた自立は達成したけど、それが人生のゴールじゃない。「誰かのために発信したい」と思うようになったのは、こうしたSNSでの出来事がきっかけです。「この体で生きることが誰かの役に立つ」と気づきました。それは、生かされた僕にとっての存在意義であり、生きたいと思える活力、原動力、生きがいになっています。だからSNSを始めたことは、僕の人生の中で大きな転換点となりました。

   2020年にはYouTubeでの活動を始めました。これが3つ目です。始めた日は事故に遭ったのと同じ7月24日。YouTubeは媒体としての発信力も大きいし、長尺の動画で伝えられるので、より具体的に深く僕の存在を知ってもらえます。

   横浜の病院での講演が実現したのも、元をたどればSNSやYouTubeでの発信があったからでした。病院の人たちがインターネット上で僕の存在に気づいてくれて、連絡をくれたんです。僕が発信を始めていなかったら、この再会はありませんでした。僕の活動は誰かにとって、それと僕にとっても無駄じゃないんだと改めて気付くことができました。

   4つ目は2021年の7月24日に、書籍「線路は続くよどこまでも」(廣済堂出版)を出版できたことです。書籍を出すことは、僕の1つの目標であり、夢でした。自分が生きた証を残せると思ったからです。

   先程「存在意義」と言ったけど、形として自分が生きていたと分かる証が欲しいと思っていました。本を手に取った人に寄り添い、自分の人生と照らし合わせて豊かになっていく手助けができる、そんな本になればと願って出しました。実際に前向きになれたという反響が届いたので嬉しかったです。

   1つ目の就職活動はネガティブな転機。2つ目から4つ目のSNSやYouTube、本の出版は、この人生を歩んできて良かったとポジティブに思える転機でした。「自分にできることはもっとあるんじゃないか」と力が出てくるきっかけになった出来事でした。

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