「映画も無観客での上映らしい」――。ツイッター上でこんな皮肉の声が聞かれたのは、2022年6月3日に公開された東京オリンピックの公式映画「東京2020 オリンピック」だ。社会派の作風で知られる河瀬直美氏が総監督に起用されたものの、映画館での客入りは低迷している。
なぜ、映画はコケてしまったのか。映画評論家の前田有一氏に話を聞いた。
都内の映画館を訪れると...
オリンピックを記録した公式映画は夏季・冬季共に毎大会制作されている。東京五輪の公式映画は18年10月に総監督が河瀬氏に決まり、19年7月から撮影を開始。大会終了後、21年春の公開を予定していた。しかし、新型コロナウイルスの影響で20年夏に予定していた大会が1年延期に。大会延期にともない制作期間も延び、公開は22年6月にずれ込んだ。
映画はアスリートの視点で描かれる「SIDE:A」と、非アスリートの視点で描かれる「SIDE:B」に分けて上映される。主題歌は藤井風さんの楽曲「The sun and the moon」だ。5月開催の第75回カンヌ国際映画祭「カンヌクラシックス」部門に選出されるなど注目を集める中、6月3日から全国200館で「SIDE:A」の上映がはじまった。
しかし、上映開始直後から、ツイッター上では全国各地の映画館で空席が目立っていたとする投稿が続出。実際の大会が無観客開催だったことにかけて「映画も無観客での上映らしい」などと皮肉る声もあった。
6日夜、記者が東京都内の映画館に訪れると、上映10分前時点で売り切れていたのは116席中8席。さすがに「無観客」とまではいかなかったが、なんとも寂しい客入りだった。
映画評論家の前田有一氏は7日、J-CASTニュースの取材に、映画の客入りが伸び悩んだと考えられる要因を次のように指摘する。
「エンブレムの盗作問題に始まり、大会組織委員会の会長だった森喜朗氏の辞任、開会式の演出メンバーだった小山田圭吾氏の過去のいじめ問題など、東京五輪開催に至るまでトラブルが山積みでした。コロナ禍の真っ最中の開催ということもあって、大会自体に嫌な感情を持つ人が少なくなかったのだと思います。『文春砲』で河瀬監督のスタッフへの暴行疑惑が報じられたことも大きかったのではないでしょうか。そもそも、河瀬さんの作風は万人受けとは真逆にいるタイプです。これらの要因の相乗効果によって『私には向いていない』『なんかお金払って行くのもね...』と思った人が多かったのではないでしょうか」
テーマは「分断」か
前田氏は「SIDE:A」を観た感想として、「河瀬色」が強く出ていたと振り返る。
「今作では映画業界の世界的な潮流になっている、社会的、政治的な『分断』をテーマにしています。出てくるのは欧米の選手が多く、日本の選手は脇役のような扱いです。日本ではなく、あくまでも欧米、特に彼女を世に送り出したフランスでの評価を意識した作品だと感じました」(編注:河瀬氏の作品はカンヌ国際映画祭で高い評価を受け、同国の文化勲章も受章している)
前回の東京五輪では、後に「犬神家の一族」(1976年)などでメガホンをとる市川崑監督が公式映画「東京オリンピック」を手がけた。当時の大会の雰囲気を捉えた名作として知られ、日本の映画としては歴代興行収入5位の大ヒットを記録した。市川作品と河瀬作品の違いについて、前田氏はこう語る。
「市川作品には、当時の日本の精一杯で作ったイベント(五輪)を余すことなく記録しようという意志を感じました。あの映画を後から見ると『64年当時はこういうことをやっていたんだ』と振り返ることができます。まさに『記録映画』です。一方で、河瀬さんの作品からは、今回の大会・競技を『記録しよう』という気が感じられませんでした。前回大会とは違い、テレビやインターネットが普及し、映画で記録する必然性が薄れたという背景はありますが...感じたのは『私の視点から見た五輪を後世に残そう』という意識です」
アスリートの姿を追った「SIDE:A」に対し、6月24日公開の「SIDE:B」では大会関係者など周辺部分にスポットライトが当たる。前田氏が期待することは何か。
「アスリート以外の関係者や大衆、市民運動などを描くのならば、五輪開催側(JOC、IOCなど)の『暗部』を避けては通れません。一方で、あくまで公式映画ですから、そういった人たちを正面から批判することは許されない。ただ、世の中には、一見するとわからないけど、実は体制批判の意味が込められていた、という映画も数多くあります。『面従腹背』でもいいので、東京五輪の『暗部』を河瀬さんなりに批判する、くらいのことがあってもいいのではないかなと思います」