「最後の手段」としての乗船はあった?
さらに、齊藤氏は自らが乗ったマグロ漁船の自身以外の8人について、その学歴について教えてくれた。
「大卒の方は恐らく、いなかったです。8人のうち7人は中卒で、残り1名については学歴については聞きませんでした」
これら仕事の話が一段落すると、齊藤氏は「借金の返済が滞った結果、意に反して乗せられた」といったような「都市伝説」はマグロ漁船の実態としては一般的ではないとしつつ、その発生原因を以下のように推測した。
「1970年代までは、『結果的に』最後の手段でマグロ漁船の乗組員として働いていたという方が、わずからながらいたかもしれないと思います。リアルタイムでの話は知りませんが、乗船の際に漁師さんからそのような話はお聞きしました」
さらに齊藤氏は、自分が乗ったのとは別のマグロ漁船員から聞いた話だとして、次のようにも説明した。
「なぜ、『最後の手段』として乗船があり得たかというと、1970年代まではマグロが毎年大量に漁獲できており、船員として働くと月給で100万円前後が稼げたという事実があったということ、また、マグロ漁船の見習いの船員として働く場合は無資格でも働けるので、借金があって急ぎで金が欲しいと言う場合は、手っ取り早く金を稼ぐための最終手段として認知されていたということのようです」
「その結果、『最後の手段』として働いていた人がいたというだけですので、ほとんどの船員は、金に困っていたと言った事情はなく、普段からマグロ漁船の船員として働いていた方ばかりというのが実情だったはずです」