陰謀論は、世の中の見方を与えてくれて分かった気になる
――こういった陰謀論と、月刊「ムー」が取り上げる陰謀論の両者が、ごちゃまぜに捉えられることはないのでしょうか。
三上:月刊「ムー」の読者は、「ムー」に書かれている内容が好きだし、じっくりと読み込むマニアもいますが、「ムー」の内容を全部信じているわけではないんですよ。そもそも「ムー」に書いてある記事自体、記事ごとで言ってることが違いますからね。よく言うのは、UFOを取り上げるとき、ある号ではUFOは異星人の乗り物、別の号では未来人のタイムマシーン、また別の号では地底人の乗り物だと取り上げています。でも読者はこれらを読んで、本人の中で消化できている。それは一家言持っているからなんです。長年読んでいると、自分はこう考えるとか、記事を読んだときに「ここら辺甘いな」みたいな読み方が出来ているんです。怪しいものに接したときの考え方や扱い方を知っているんですね。
今「陰謀論」ですごい盛り上がってワーッとなってる人たちって、たぶん「ムー」の読者ではないと思うんですよ。恐らく「ムー」の読者は、今の「陰謀論」に対して「そんな甘いもんじゃねぇよ」とちょっと上から見ているところがあるんじゃないか(笑)。
――今、陰謀論で盛り上がっている人たちが「たぶん『ムー』の読者」ではない」とはどういうことでしょうか。
三上:今、世の中に出ている陰謀論は全部つまらないんですよ。陰謀史観にまで昇華していないというか、一つの世界観や歴史観が作り上げられていない。これまでの陰謀史観に比べて、歴史の流れやスケールの大きさから見て、非常にちっちゃい。「もっと奥があるだろ!」みたいな。歴史的にも地理的にもスケールの大きい陰謀論はネットの中にはないんですよね。Qアノンやディープステートも「えっここまで?もっとあるだろ!」と思うし、甘いなと感じます。
陰謀論って、世の中の見方を与えてくれて分かった気になるじゃないですか。「世の中がなぜこうなってるんだろう」という疑問に対し、一つの解答を与えてくれるのが陰謀論なんです。でもそれは一つの見方でしかない。
――その「甘さ」は、どこから出てくるんでしょうか。
三上:それは昨日今日で陰謀論にハマったからです。ネットという環境があって、そういうのに触れる機会が多くなって、今では小学生でも「フリーメーソン」や「イルミナティ」とか言うじゃないですか。世も末だな、みたいな(笑)。