長崎市が8月9日の「原爆の日」の式典に開く「平和祈念式典」にロシアを招待しないことを決めた。8月6日に式典を予定している広島市に続く対応で、ロシアのミハイル・ガルージン駐日大使が2022年5月28日に駐日ロシア大使館のSNSを通じて非難声明を出した。
ガルージン氏は25日に広島市を非難する声明を出しており、その内容は長崎市の対応にも「十分に当てはまります」と言及。「長崎を中心とする日露関係史におけるポジティブな1ページ」も長崎市は軽視しているとして、「残念です...」とも書き込んだ。
日露戦争までの半世紀は「ロシアととても深い関わりを持つ町」だった
ガルージン氏は5月25日の段階で、広島市の対応を「恥ずべき措置」だと非難。今回の声明では、広島市への談話は「長崎市役所がとった非友好的な措置にも十分に当てはまります」とした上で、長崎市が19世紀以来の関係を「軽視」しているように見えることが「残念」だとした。
「19世紀後半に、貿易や文化の分野での接触を含む日露関係の確立に重要な役割を果たした、長崎を中心とする日露関係史におけるポジティブな1ページも、市当局は軽視していることがうかがえます。地元の活動家や在日ロシア公館によって丁寧に整えられた、市内に残る数十基の同胞の墓が、今もそれを物語っています。残念です...」
長崎市のウェブサイトによると、ロシアの使節が初めて上陸を許されたのは1853年のプチャーチン来航時だ。当時の長崎の中心地から港を隔てた稲佐地区を上陸地に指定し、日露戦争(1904~05)年が起こるまでの半世紀にわたって「遠くロシアの地まで知れ渡るほどの『ロシア人休息地』として賑わいをみせた、ロシアととても深い関わりを持つ町」だった。稲佐悟真寺国際墓地にあるロシア人墓地は、当時の名残の一つだ。
招待見送りの理由は「不測の事態」への懸念
長崎市の田上富久市長は5月26日の記者会見で、ロシアの招待を見送る意向を明らかにしている。その経緯について、次のように説明した。
「現在の様々な状況のなかで平和を直接訴えかける、あるいは被爆の実相をご覧いただくという意味では良い機会でもあると考えているが、一方で、そういう代表の方を迎えることによる様々な不測の事態を想定しなければならない、といったような事態も生じる。そういう意味では、厳粛な式典なので、しっかりと式典をまず行うということを中心に考えたい」
「不測の事態」の内容については、「これまでも近いことはあった」として、「大声を発する行為」「大使が並んでいる席に近づく行為」の2つを挙げた。
ガルージン氏が広島市の対応について非難声明を出したことについては、
「主催者として、その(式典の)趣旨をしっかりと全うすることができるように考えることが基本」 だと述べた。
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)