「沖縄の闘牛場でフェスをやろう!」と言い出す
BiSの「TO」として名をはせたツマさんだったが、BiSは2014年に第1期が解散。翌年、ギュウゾウさんが経営する栃木県小山市の「ギュウゾウ農場」の名前を冠して栃木県のアピールを兼ねた「ギュウ農フェス」がスタートする。ギュウゾウさんからツマさんを誘ったが、なかなか首を縦に振ってくれなかった。
「僕がやっていた農場イベントを発展させて、集客のためにもアイドルを呼んでみようとツマさんを誘いましたが、最初はへそを曲げてなかなか了承してくれませんでした。三顧の礼のように何度も礼を尽くしてプロデューサーとしてかかわってもらえました」
ギュウゾウさんとツマさんにはフェスの開催に独特のこだわりがあった。
「当時は可愛さを前面に出した正統派のグループがメジャーアイドルとしてブレイクしていく時代で。でも僕たちはBiSが好きだったこともあって荒々しい、ロックなアイドルもステージに呼んで音楽を楽しみたいと考えていました。
また一部のアイドルイベントにはファンの課金を煽るような面もありまして...それよりも、小さなイベントでも継続してやっていくことを重視して始まったのがギュウ農フェスです。ツマさんはお金儲けよりも演者が喜ぶイベントにしたいという考えで一貫していました。アイドルや音楽の文化を汚すことはしたくない、と彼は考えていて、お金には執着しないけど文化に対しては潔癖症なほど純粋だったと思います」
ギュウ農フェスは都内各地を中心に数カ月間隔のハイペースで開催。ツマさんが企画を担い数多のインディーズやローカルのアイドルが出演してきたギュウ農フェスだが、ツマさんの突飛さはビジネスの場でも変わらなかった。
「誰も知らないようなアーティストをメインステージに出演させる!みたいなアイデアを平気で思いつく人なんですよ。気分屋で予算繰りも下手。怒られても笑っていたり、プライベートでもファン仲間にさんざん迷惑をかけて文句も言われていた人でしたが、なぜか一目置いてしまうんですね」
先日も沖縄でギュウ農フェスを開催する企画が俎上に上がった時、「闘牛場でフェスをやろう!」とツマさんが思いついたという。「ギュウ農フェスが作った映画『IDOL NEVER DiES』の公開も5月6日に始まったばかりで、まだまだこれからも色々な動きを考えていたのですが...」(ギュウゾウさん)と、アイデアは尽きない中での突然の訃報だった。