「朝鮮半島のイシュー、矛盾が縮図のように...」 ヤン・ヨンヒ監督はなぜ母親を撮り続けたのか

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   自らの家族をテーマにしたドキュメンタリー映画で知られるヤン・ヨンヒ監督(57)が2022年5月26日、最新作「スープとイデオロギー」(6月11日公開)について東京・丸の内の日本外国特派員協会で記者会見した、

   ヤン氏は在日コリアン2世で、両親は熱心な在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の熱心な活動家だった。3人の兄は「帰国事業」で日本から北朝鮮に送られた。ヤン氏は、こういった経緯を「ディア・ピョンヤン」(05年)、「愛しきソナ」(11年)などを通じて発表してきた。今作では、1948年に韓国・済州島(チェジュド)で起きた虐殺事件「4・3事件」の現場に居合わせた母親を中心に描かれる。両親のルーツは済州島だが、なぜあえて「北」を選び続けたのか。今作で「4・3事件」を取り上げたことで、ヤン氏は「やっと『ディア・ピョンヤン』を終われたという感じが、今、とてもしています」などと感慨深げに話した。

  • 日本外国特派員協会で記者会見するヤン・ヨンヒ監督。最新作「スープとイデオロギー」が6月11日に公開される
    日本外国特派員協会で記者会見するヤン・ヨンヒ監督。最新作「スープとイデオロギー」が6月11日に公開される
  • ヤン・ヨンヒ監督(左)とエグゼクティブ・プロデューサーで、夫の荒井カオルさん(右)。映画の主要な登場人物でもある
    ヤン・ヨンヒ監督(左)とエグゼクティブ・プロデューサーで、夫の荒井カオルさん(右)。映画の主要な登場人物でもある
  • ヤン・ヨンヒ監督の母親が参鶏湯のスープを振る舞うシーン。「スープとイデオロギー」で象徴的な場面のひとつだ(C)PLACE TO BE, Yang Yonghi
    ヤン・ヨンヒ監督の母親が参鶏湯のスープを振る舞うシーン。「スープとイデオロギー」で象徴的な場面のひとつだ(C)PLACE TO BE, Yang Yonghi
  • ヤン・ヨンヒ監督の母親(中央)は、70年ぶりに済州島を訪れた(C)PLACE TO BE, Yang Yonghi
    ヤン・ヨンヒ監督の母親(中央)は、70年ぶりに済州島を訪れた(C)PLACE TO BE, Yang Yonghi
  • 日本外国特派員協会で記者会見するヤン・ヨンヒ監督。最新作「スープとイデオロギー」が6月11日に公開される
  • ヤン・ヨンヒ監督(左)とエグゼクティブ・プロデューサーで、夫の荒井カオルさん(右)。映画の主要な登場人物でもある
  • ヤン・ヨンヒ監督の母親が参鶏湯のスープを振る舞うシーン。「スープとイデオロギー」で象徴的な場面のひとつだ(C)PLACE TO BE, Yang Yonghi
  • ヤン・ヨンヒ監督の母親(中央)は、70年ぶりに済州島を訪れた(C)PLACE TO BE, Yang Yonghi

「4・3事件」は「北を選んだ理由というよりは、韓国を否定した理由」

   父親は09年に大阪で死去。遺骨は母親の手で平壌に運ばれ、埋葬された。この頃から、「4・3事件」について少しずつ語るようになったという。「4・3事件」は、1948年から54年まで、武装蜂起の鎮圧を名目に軍や警察が住民2万5000~3万人を殺害したとされる事件で、長い間、韓国社会ではタブー視されてきた。18年には、70年ぶりに現地を訪れて追悼式に参列。アルツハイマー病で記憶が薄れる中、葛藤を抱えながら過去に向き合う姿が描かれる。

   エグゼクティブ・プロデューサーで、夫の荒井カオルさんも登場人物のひとりだ。母親、ヤン氏、荒井さんという国籍もイデオロギーも違う3人が、参鶏湯のスープを味わう光景も象徴的だ。

   葛藤の中撮影を続けた理由を問われたヤン氏は、「4・3事件」が両親にとって「北を選んだ理由というよりは、韓国を否定した理由」だったとして、

「そこまで描かないと、『ディア・ピョンヤン』を終わったことにならないな、と思ったんですね。本当、宿題というか、やっと『ディア・ピョンヤン』を終われたという感じが、今、とてもしています」

と説明した。

ドキュメンタリーを残すことで「家族に会えなくても家族を繋ぐことになる」

   ヤン氏は、「ディア・ピョンヤン」を発表したことが原因で、北朝鮮に入国できなくなっている。つまり、兄の家族に会うことや父親の墓参ができない状態が続く。ヤン氏は涙を見せながら、それでもリスクを取って映画を撮ることの意義を語った。

「私が生きている間に家族に会えるかどうか分かりませんけれども、もし会えなかった場合...」

と前置きした上で、次のように話した。

「(会えない兄の家族に対して)自分たちに仕送りばっかりしてくれる、おじいちゃんおばあちゃん(ヤン氏の父親と母親)が、どういう家に住んで、どういう人生だったかを残すことが、家族に会えなくても家族を繋ぐことになるというか...。(北朝鮮側に)謝罪文を書いたり、私が映画をギブアップして家族に会うというよりは、それよりもっと家族をつなぐことになるのではないか、と思いました」

   ドキュメンタリー映画監督として見た場合も、被写体として魅力的だった。

「私の両親は、本当に(朝鮮)半島の間の、いろんなイシュー、矛盾が縮図のように凝縮した、とても良い取材対象といいますか、born-to-be(生まれながらの様子を描く)ドキュメンタリーのメインキャラクターのような、こういう、この家庭をちゃんと撮らずにほっておくことはないと...」

「ドキュメンタリーはね~。今はちょっとやれる自信はないですけれども...」

   母親は22年1月に死去。生前、父親と同じ平壌に埋葬されることを望んでおり、遺骨の輸送が課題だ。コロナ禍で北朝鮮とは人の往来は途絶え、郵便も届かない状態。訃報はかろうじて電報で伝えることができたという。埋葬までの様子をドキュメンタリーにする計画を問われたヤン氏は「計画はないんですが...」と応じ、

「どうやって平壌に届けるかというのは考えています。誰か預けられる人がいるかなぁ、と言うのを考えています」
「ドキュメンタリーはね~。今はちょっとやれる自信はないですけれども...」

と続けた。同席していた荒井さんが

「ドキュメンタリー映画も劇映画も含めて、ヤン監督が作る作品、全力で応援したいと思います」

と励ますと、会場から拍手が起こっていた。

   ヤン氏は「やっと、新しいスタートラインに立てたような感じです」とも。今後については

「自分の体験や、家族の話や、他人の話や想像...全部混ぜて、劇映画をつくりたいと思っています」

と話していた。

(J-CASTニュース編集部 工藤博司)

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