「自分たちの置かれている状況に対して切迫感が感じられない」
こうした声が「ちむどんどん」に上がることについて、ドラマ、演劇、映画に詳しいライターの木俣冬氏が17日、J-CASTニュースの取材に見解を寄せた。
まず、貧しい比嘉家への視聴者からの同情や共感が他の作品に比べて少ないようにも感じられる原因は、前出のネット上の指摘にもあったような、金銭感覚の「ルーズさ」にあるのかについて聞いた。
「お金にルーズというよりは、自分たちの置かれている状況に対して切迫感が感じられないということのように思います。服や靴は繕いながら使用し夕飯は一品だけとはいえ、借金を重ねてもなぜかなんとかなってしまって深刻に悩む様子が見えないので共感できないのではないでしょうか。比嘉家のおおらかさや近隣の方々と助け合い支え合いなどでなんとかなっているとしたら、そのディテールをほんの少しでも描いたら、また印象が変わると思うのですが......」(木俣氏)
金銭感覚で言えば他の作品でもルーズな登場人物はいるが、比嘉家には朝ドラには今までにない要素、もしくは珍しい要素があるのだろうか。
「これまでの朝ドラは、主人公は堅実だが家族の誰かがルーズという『おちょやん』のようなパターンがよくあります。これだと主人公を応援できますが、『ちむどんどん』のように一家揃って......というのは朝ドラでは稀有です。そこに作り手の意図があるとしても非常に難しい挑戦になっているように感じます」(同)