「ブランコにハマって救出されたDQN」の現在 24歳になった彼が「8年前の黒歴史」から得たもの

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   公園の幼児用ブランコから抜け出せなくなった若者の写真が、SNSで「ネタ画像」としてたびたび拡散されている。ブランコの椅子にハマった若者、それを5~6人がかりで救助する消防隊員の様子などを映したものだ。

   この青年・笹本裕月さん(24)が、行政書士になっていた。J-CASTニュースは2022年5月6日、ブランコにはまってしまった当時の経緯や行政書士を目指した理由などを本人に取材した。

  • 幼児用ブランコの椅子から抜け出せなくなってしまった笹本裕月さん
    幼児用ブランコの椅子から抜け出せなくなってしまった笹本裕月さん
  • 祖母が119番に連絡
    祖母が119番に連絡
  • 6人がかりで救出
    6人がかりで救出
  • 笹本さんは当時、高校生だった
    笹本さんは当時、高校生だった
  • 現在の笹本さん
    現在の笹本さん
  • 4月に行政書士登録を完了したという
    4月に行政書士登録を完了したという
  • 幼児用ブランコの椅子から抜け出せなくなってしまった笹本裕月さん
  • 祖母が119番に連絡
  • 6人がかりで救出
  • 笹本さんは当時、高校生だった
  • 現在の笹本さん
  • 4月に行政書士登録を完了したという

「高校生の時の黒歴史、定期的に拡散されるの辛いんですが――」

   2014年6月頃のことだった。当時高校生だった笹本さんは、大阪府東大阪市の若江本町北公園にあったバケット型ブランコから降りられなくなってしまった。このブランコは、赤ちゃんが落ちないように椅子部分がおむつのような形をしており、一般的な高校生の体格で乗り込むのは困難だ。

   なぜはまってしまったのか。笹本さんによれば、友達が3人がかりでふざけて押し込んでしまったのだという。腰骨がひっかかってしまい、椅子から抜け出せなくなってしまった笹本さんは実家にいた祖母に連絡した。

   祖母は、119番から消防に助けを求めた。公園には6人ほどの救急隊員が訪れ、笹本さんを四方八方に引っ張り、何とか抜け出すことができたとのことだ。

   笹本さんは当時、この出来事をツイッターに投稿。すると5万件を超えるリツイートが寄せられるなど非常に大きな反響があったという。しかし高校の部活の顧問の先生に怒られ、削除するように言われたために投稿を削除したとのことだった。

   しかし当時の画像は、「大阪のDQN、幼児用ブランコに座って抜けられなくなる」などとまとめサイトに拡散されたほか、その後もさまざまなSNSや匿名掲示板に転載され、現在も多くの注目を集め続けている。

   22年4月25日には、ネタ画像などを紹介するツイッターアカウントが、「悲報」と称して「子供用遊具にハマって抜け出せなくなる人現るww」と笹本さんの写真を拡散。5月6日夕までに5000件を超えるリツイート、5万件を超える「いいね」が寄せられた。

    この投稿を見て、笹本さんは仕事用に開設したツイッターアカウントで次のように呟いた。

「高校生の時の黒歴史、定期的に拡散されるの辛いんですが――」

「高校生の時の黒歴史」をどう振り返る?

   笹本さんは今年4月に行政書士登録を完了し、「ささもと行政書士法務事務所」をオープンした。今回のカミングアウトに、ツイッターでは「立派になって...」「真面目そうなのにこの黒歴史には笑ってしまいました」と驚く声が寄せられた。

   なぜ行政書士をめざしたのか。笹本さんは、もともと実家の建築業の会社で営業として働いていたという。しかし外部の行政書士に頼んでいたことを自ら行えばコスト削減になるうえ、交流のあった取引先から仕事をもらうことができるのではないかと考え、勉強に励んだとのことだった。

   笹本さんは、自身の高校時代を次のように振り返る。

「高校生の時は割と強豪校のバスケ部に居たので毎日夜21時くらいまで練習して帰ったらもう風呂はいって飯食って寝るだけの生活でした。友達は割と多く、活発な性格ではあったと思います」

    ブランコ騒動については、「自分の中で美味しいネタくらいに思っています」と述べる。地元でしばらくいじられ続けられただけでなく、他県の人からも「あれ知っていますよ」などとフレンドリーに接してもらえたという。騒動を機に、交流がなかった人からも話しかけられるようになったことで友達が増えたと振り返った。

   今回、実名のツイッターアカウントで名乗り出た理由についても、「交流が増えたりすればいいな」という思いからだったという。今回の注目を活用し、事務所の宣伝などビジネスの展開に繋げていきたいという。

   インターネット上で当時の写真が拡散されていることについては、「僕自身何か悪いことがある訳ではないので拡散されていることに対して特に何も思っていません」などと受け止めた。

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