「鬼滅の刃」能との相性もぴったり?鬼と人が交わる舞台、マンガ舞台化の例も 意外と近い関係を読み解く

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能舞台の鬼は「鬼滅」に似ている

   マンガと伝統芸能という組み合わせは意外に映るが、能楽とマンガ、そして鬼滅の刃との相性は悪くない。能楽は現在も新作舞台が作られ、題材は幅広い。野上記念法政大学能楽研究所所長の山中玲子教授は、能の表現の広さをこう話す。

「幽霊・鬼・死者などが舞台に現れる『夢幻能』という様式の作品が能には多く、歴史上の出来事から現代の出来事まで何でも表現できます。夢幻能に多いのは死者や鬼が登場し語るという展開です。そして明治以降も新作能がいくつも作られてきました。脳死・原爆・水俣病など現代のテーマを扱ったものもあれば、歴史上の人物を新しい解釈で描いたものもあります。バレエの『ジゼル』を翻案したものもありますね」

   鬼滅の刃には元は人間だった鬼が登場し、鬼殺隊の敵となるが、「鬼」もまた能舞台には欠かせない。

「能に登場する鬼には、人間だったけれど鬼になってしまった、地獄に落ちてしまった鬼が多いんです。それから、有名な般若の面を着ける『葵上』や『道成寺』の主人公たちも、女性が嫉妬や怨念や悲しみで鬼になったものですよね。観客としてもつい鬼に共感してしまいたくなる、そんな人間としての心の悲哀を能の中の鬼は持っています。能における鬼や幽霊は、人間に仇をなす存在ではなくて生者と心を通わせる存在でもあるので、鬼滅との相性はいいのかもしれません」(山中さん)

   マンガの能楽での舞台化には前例もある。長寿マンガ「ガラスの仮面」の劇中劇「紅天女」を原作にした能舞台「紅天女」が2006年に初演の後、07年、14年、15年と再演を繰り返してきた。少数の演者による謡曲と囃子のみで進む舞台ゆえに、観客が想像する余地が広がり何でも表現できてしまうのが能楽だ。

「能狂言は非常にシンプルな芸能です。能舞台において演じ手が立つのは、歌舞伎の花道のもとになったとも言われる『橋掛かり』と、三間四方(6m四方)の本舞台。この極めて限られた空間の中で、美術や道具も大掛かりなものはほぼないまま、様々な時間、場所、物語がダイナミックに展開します。つまり能狂言では、何かを具体的に再現するのではなく抽象的な表現がなされるのです。それは、能狂言ではどのようなものも描けるということを意味します。特殊効果なしで、どんな存在も状況も、時空を超えて易易と表現してしまうのです」(高橋彩子さん)

   もとは少年だった累を79歳の大槻文蔵さんが演じるように、女性・子ども・幽霊まで役者は変幻自在に演じてしまう。「能楽師達の身体の動きや存在感には、日常的な私達の身体とは比べ物にならない密度と強さがあります。実年齢は年老いているのに驚くほど若々しく見えたり、男性であるのに女性に見えたり、人間なのに人外の生き物に見えたりするのは、鍛錬を重ねた彼らの力あってこそです」と話す高橋さんは、役者たちのこうした演技はもちろん、地謡や囃子方にも注目してほしいと話す。

「地謡と呼ばれるコーラスは地の文に当たる箇所や、シテやワキらと連携して人物の思いや言葉などを謡います。劇的に、華やかに、あるいは陰鬱に、物語世界を包み込む存在です。地謡のリーダーの地頭は、その舞台の出来を左右するほど重要な存在です。
また能の楽器は、カーンと乾いた力強い音を響かせる太鼓、潤いある優雅な音が特徴的な小鼓、情景や心象風景などを表す能管(笛)、曲を盛り上げたり超人的な存在を描いたりする際などに効果を発揮する太鼓の四種類のみです。しかしその音は多彩で、どのような雰囲気も見事に描き出します。今回は作調を大鼓の亀井広忠さんが担いますが、古典はもとより様々な新作も手掛けている第一人者で、王道を行くドラマティックな音・音楽を作ってくれるに違いありません」
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