「ボクシングというのは特殊な能力がある人間がやるもの」
その後、バトルホーク風間ジムに移籍し87年7月にIBF世界スーパーライト級王座(※当時IBFは日本ボクシングコミッション未承認)に挑み6回TKO負け。この試合を最後にグローブを置いた。約10年間のプロ戦績は27勝(21KO)4敗。
「200年に1人の天才」はどのようなボクサーだったのだろうか。金平正紀氏を父に持ち、99年に協栄ジムの会長職を受け継いだ金平桂一郎氏(56)は、J-CASTニュース編集部の取材に「亀田さんは正統派スタイルの本当の天才でした」と語り、亀田さんとの思い出を振り返った。
金平会長が亀田さんとの交流の中で最も印象に残っているのは、ジムが東京・代々木にあった時代のことだという。
当時ジムの2階が選手の合宿所で亀田さんは合宿生活を送っていた。中学生だった金平会長はプロボクサーを目指し日々練習に打ち込んでいた。そんなある日、亀田さんの部屋に呼び出された。金平少年は技術的なアドバイスを期待していたが、亀田さんの口から出た言葉は予期せぬものだったという。
「けいちゃん、ボクシングというものは見るものだよ。けいちゃんの練習を見てるけどチャンピオンにはなれないよ。何戦かは勝てるかもしれないけどチャンピオンにはなれないからやめた方がいいぞ。ボクシングというのは特殊な能力がある人間がやるものであって基本的には見るものだから」
亀田さんの言葉によって金平少年はボクサーの道を諦めたわけだが、優しく諭すように語りかける亀田さんの言葉は今でも心の奥底に残っているという。