高校時代は甲子園あと一歩で未登板→チーム敗戦で物議
19年の大船渡高校時代には最速163キロを記録し、「日本球界の宝」として育てられてきた佐々木投手。その慎重な起用方法は、たびたび注目を集めてきた。
大船渡高校の35年ぶり甲子園出場をかけた19年夏の岩手県大会では、当時の國保陽平監督が、故障防止のためエースの佐々木投手を登板させず。チームは2-12で花巻東高校に敗れ、甲子園出場を逃した。
当時の球界関係者からは國保監督の采配を理解する声が聞かれた一方、報道番組「サンデーモーニング」(TBS系)でコメンテーターを務めていた野球解説者の張本勲氏は「絶対に投げさせるべきだった」と主張。甲子園出場を逃した高校には、大量の抗議の声が寄せられたと報じられた。
ドラフト4球団競合の末に入団したロッテでも、一年目は身体作りに専念するため一軍・二軍ともに公式戦の登板はゼロ。一部では佐々木投手が試合で投げないことを不安視する報道もあった。
スポーツライターの高木遊氏は19日、J-CASTニュースの取材に「高校当時から慎重な起用を支持する人は多かった」としつつ、今シーズンの投球で「どれだけ『日本球界の宝』かが、より強烈に認識された。一瞬の偉業より少しでも長く見てみたいとか、これからどれだけ化けるんだろうかという期待が強くなったのではないでしょうか」と、佐々木投手を慎重に起用することへの理解が進んだと分析した。