抑えはく奪→翌年セーブ王の選手も
「新助っ人クローザー」の失敗例は最近でも。16年にオリックスに入団したエリック・コーディエは、過去に165キロのストレートを投げたことがあると自称していた。しかし、3月25日の西武との開幕戦では9回裏1点リードの場面からサヨナラ負けを許した。その後2セーブを挙げるも制球難が改善されず、同オフに自由契約となった。
20年に広島に入団したテイラー・スコットは、NPB初のアフリカ大陸出身選手だった。オープン戦で好投を見せていたが、新型コロナウイルスの影響で開幕が延期。6月21日の開幕3戦目・DeNA戦では1点リードの9回裏に登板するも、一死も奪えずサヨナラ負けを許した。その後7月2日のヤクルト戦でも村上宗隆にサヨナラ満塁弾を被弾し、負け投手になった。翌21年は一軍登板なしに終わり、オフに自由契約となった。
一方で、開幕から抑えに起用され、その期待に応えた助っ人もいる。11年に広島に入団したデニス・サファテは、150キロ台の直球を武器に初年からいきなり35セーブを記録。その後西武、ソフトバンクに移籍し、ソフトバンク時代の17年には日本記録のシーズン54セーブを挙げ、パ・リーグMVPを受賞した。
韓国リーグで圧倒的な成績を残し、14年に阪神に入団した呉昇桓(オ・スンファン)は「石直球」と言われた力強いストレートを持ち味に2年連続でセーブ王を獲得。阪神退団後に入団した大リーグ・カージナルスではリリーフエースとして活躍した。
また、96年に中日に入団した宣銅烈(ソン・ドンヨル)は、開幕からセーブ失敗が相次ぎ抑えをはく奪されるも、翌97年にセーブ王を獲得。99年にはリーグ優勝に貢献し、胴上げ投手となった。
まだ始まったばかりの2022年シーズン。ケラーも宣銅烈のように「汚名返上」となるか。