「今も帰れない」双葉町を観光で再生したい 「関係持ち続けたい」避難者のつながり原動力に

富士フイルムが開発した糖の吸収を抑えるサプリが500円+税で

   福島県双葉町は、今も全町避難が続き住民が帰れない。11年前の東京電力福島第1原発の事故で、町の大部分はいまだに帰還困難区域となっている。

   長い年月をかけて、人々の営みが双葉町を形づくってきた。避難生活を続けている住民から町の話を聞き、その魅力を伝えて町への関心を高める――そんな試みが、続けられている。キーワードは「観光」だ。

  • 「双葉タウンストーリーツアー」で、ガイド中の山根さん(写真提供:F-ATRAs)
    「双葉タウンストーリーツアー」で、ガイド中の山根さん(写真提供:F-ATRAs)
  • 「双葉タウンストーリーツアー」で、消防団屯所前でのストーリー紹介(写真提供:F-ATRAs)
    「双葉タウンストーリーツアー」で、消防団屯所前でのストーリー紹介(写真提供:F-ATRAs)
  • 「双葉タウンストーリーツアー」の参加者の前に、大きなダルマが描かれた建物が登場(写真提供:F-ATRAs)
    「双葉タウンストーリーツアー」の参加者の前に、大きなダルマが描かれた建物が登場(写真提供:F-ATRAs)
  • 「双葉タウンストーリーツアー」で、町を歩く参加者(写真提供:F-ATRAs)
    「双葉タウンストーリーツアー」で、町を歩く参加者(写真提供:F-ATRAs)
  • 「双葉タウンストーリーツアー」で、ガイド中の山根さん(写真提供:F-ATRAs)
  • 「双葉タウンストーリーツアー」で、消防団屯所前でのストーリー紹介(写真提供:F-ATRAs)
  • 「双葉タウンストーリーツアー」の参加者の前に、大きなダルマが描かれた建物が登場(写真提供:F-ATRAs)
  • 「双葉タウンストーリーツアー」で、町を歩く参加者(写真提供:F-ATRAs)

「中間貯蔵施設」福島だけの問題じゃない

   「双葉町タウンストーリーウォーキングツアー」。文字通り、双葉町を歩いて巡るツアーだ。ガイド役であり「仕掛け人」は、一般社団法人双葉郡地域観光研究協会(F-ATRAs)・山根辰洋さん。2020年3月に町の一部で避難指示が解除され、JR常磐線が全線開通となって双葉駅が利用できるようになり、訪問客を迎えて案内できるようになった。

   震災前の2006年、地元の双葉海水浴場が環境省の「快水浴場百選」に選ばれたことは、ある。だが全国的に有名な観光地ではない。その土地で、観光という切り口を選んだ山根さんは、「双葉町を再生させるうえで、人の力・交流は絶対に必要」と力を込める。まず地域について広く伝えたい。町外から訪問者が増えれば、受け入れる側もその準備や対応のため、地元民同士の連携が増える。観光という結論に至ったのは、こうした理由だ。

   ツアーは、町を歩きながら過去・現在・未来を体現するコンセプトだ。山根さんが町民から聞き取った話を軸に、参加者をガイドする。地元の伝統や歴史同様、11年前の震災、原発事故の話題は切り離せない。

   長年、コミュニティーの核の役割を担ってきた神社がある。東日本大震災で大きな被害を受け、修復が必要だったが全町避難で町民はいない。しかも帰還困難区域に指定され、放射線量が高く許可なしでは立ち入れなかった。それでも氏子は「できることから」と2015年、しめ縄の掛け替えから始めた。これをきっかけに19年には傾いていた社殿を修理。20年3月4日に立ち入り規制が緩和されると、同年11月にご神体を戻す儀式を行い、以前の神社の姿が戻っていったという。

   「中間貯蔵施設」の話も、する。原発事故後、除染で生じた放射性物質を含む土や廃棄物を、「一定期間」保管する場所だ。双葉町から大熊町にかけて設置され、面積は16平方キロメートル。ただこの施設を正確に理解している人は、多くないかもしれない。保管する土などは、中間貯蔵開始から30年以内に福島県外で処分を完了することになっている。だが最終処分場はまだ決まっていない。いわば福島県以外に住む人は誰でも、関係する可能性がある。こうした事実を山根さんは淡々と伝え、個々の参加者に考えるきっかけを提供する。

「双葉町をどう残すか、こだわりがあります」

   山根さんは、東京生まれ。大学卒業後に映像制作会社に就職したが、震災後の2012年、当時埼玉県加須市の避難先で運営されていた双葉町役場を訪問したのをきっかけに、町との縁が生まれた。翌13年、双葉町復興支援員として、地域コミュニティーの支援に携わるようになった。16年からは一般社団法人で、今度は復興支援員をマネジメントする立場に。同年に結婚した夫人は、双葉町出身だ。19年に独立し、F-ATRAsを設立した。

   「ウォーキングツアー」は新型コロナウイルスの感染拡大により、予定していた5回中4回が中止となった。一方で「オンラインツアー」を続けている。現場で実体験はできないが、遠方や海外在住者でも簡単にツアーに参加できる利点がある。英語のオンラインツアーを実施すると、「事故後の町はどうなったのか」と興味を持つ人が参加した。

   ツアー以外の企画も実現し、双葉町ファンを増やそうと努める。ただ町の再生の主役は、住民ではないだろうか。復興庁が公表している、原発事故による避難者らの住民意向調査。最新の2021年12月7日付の数字を見ると、回答した双葉町1494世帯で、帰還の意向について「戻りたいと考えている(将来的な希望も含む)」は11.3%。「戻らないと決めている」は60.2%だ。「戻りたい」の数値が2020年8月の前回調査より0.5ポイント上昇しているが、それでも「戻らないと決めている」を大きく下回る。

   山根さんも、この結果を知っている、そのうえで、こう語った。「『戻らないと決めている』と答えた人の6割が、双葉町との関係を持ち続けたいと考えているのです」。

   これまで山根さんは、双葉町の多くの住民と話を重ねた。確かに町からは離れて暮らしているが、友人や同じ地域の知り合い同士の付き合いは、今も保たれていると感じる。避難先ごとに小さなコミュニティーがいくつも存在し、祭りや盆踊りをはじめイベントを通じてお互いのつながりは維持され続けているのだ。こうしたコミュニケーションが具体的な行動や形となって、双葉町に訪問客を呼び寄せる原動力にならないか――。

   こんな案がある。町の伝統行事「双葉ダルマ市」。住民がダルマに絵付けをして出店販売をする。山根さんが町民の女性とダルマ市の話をした際、「オンラインで絵付け教室ができるよ」と提案があった。「絵付けキット」を作って町を訪れる観光客に配り、避難中の町民がオンラインで絵付けの方法を教えながらつくってもらう。ユニークな企画だが、「ふるさとのために、避難先から貢献したい」という町民の気持ちが表れている。

「双葉町をどう残すか、こだわりがあります」

   住民の帰還だけが、全てではない。町民同士、山根さんのように町外から支援に来た人、そして訪問客が交流機会を増やすことで、多様な可能性が出てくるはずだ。「コロナ後」には観光需要が復活するだろう。山根さんのチャレンジは、続く。(この連載おわり)

(J-CASTニュース 荻 仁)

姉妹サイト