「週刊漫画ゴラク」で連載中のマンガ「一級建築士矩子の設計思考」の単行本1巻が2022年3月9日に発売されると、好評を受け14日には早くも重版が決まった。
本作は東京・亀戸で立ち飲み屋兼設計事務所を営む27歳の一級建築士・古川矩子(こがわかなこ)を主人公に、現代建築事情を盛り込んだマンガだ。建築にまつわる緻密な情報や建物をめぐる騒動が描かれていくが、作者がかつて成人向けマンガを長年描いてきた鬼ノ仁(きのひとし)さんであることもマンガ好きの反響を呼んだ。実際に一級建築士資格を持つ鬼ノさんの考証により、建築の知識がふんだんに盛り込まれているのが特徴だ。
鬼ノさんは1990年代から20年以上にわたって成人向けマンガを描き続けてきたヒットメーカー。2019年に成人向けマンガを引退し、一般向けマンガに活躍の場を移した。マンガと並ぶもう一つのライフワークともいえる「建築」をテーマに作品を描き始めた動機を聞いた。
(聞き手・構成 J-CASTニュース編集部 大宮高史)
(鬼ノ仁さんプロフィール)
1969年生まれ。1999年にマンガ家デビュー。以後成人向けマンガで活動。<2005年に「ミリオネラドライブ」(秋田書店「チャンピオンRED」掲載、読切前後編)で一般誌デビュー。2021年から「一級建築士矩子の設計思考」を「週刊漫画ゴラク」で連載中。
矩子の経歴に自身を投影
――まさか、マジメな建築マンガを鬼ノさんが描かれるとは意外でした。
鬼ノ仁:昨年の2月に連載を始めてまず単行本1巻を出せて、続けられればいいなと2巻分のネームも進めていたんですが、連載継続も決まってまずは安心というのが率直な気持ちです。僕がネットで拝見した評判の中には「昔ムスコがお世話になりました」なんてのもありましたね(笑)。
――「一級建築士矩子の設計思考」第一話は矩子が弘前から上京するシーンで始まります。このマンガを読み通すと、一級建築士でもある鬼ノさんの経験が矩子に投影されているようです。
鬼ノ:いつかは建築をマンガの中で描こうと思っていてアイデアを温めていて、お付き合いのあった漫画ゴラクの編集者さんとも(同誌の)作風や読者層に合うだろうな、となって連載が始まりました。僕も青森から上京したんですが、矩子と違ってバブルの頃でした。専門学校で建築を学んで事務所の現場に就職して働いていたので、当時と変わったところはアップデートしつつ、その頃の実体験を矩子のエピソードに活かしていますね。バブルで仕事はたくさんあったので、マンション建設の現場に出たり、役所に行ったりと色々経験しました。
ちなみに矩子は27歳で一級建築士として独立していますが、この資格は20代で取れると「ちょっと早くてすごいじゃん」という感じでしょうか。
近所の話題から建築の世界へ
――そしてお酒がアクセントになって、矩子と近所の人たちの人間模様も描かれます。
鬼ノ:「とにかくわかりやすく」が編集部と一緒に意識していたことでした。建築一辺倒で話を進めてしまってはさすがに読者もついていきづらいかな、と。何を絡めようかな、と思ってお酒のシーンも描いています。
矩子を描いたのも建築の世界は今も男性社会ですし、男性たちが小難しい事情を解説していく...というイメージがあるかもしれませんが、それよりは女性を主人公にして描いてみたらどうなるんだろうかな?と思って。建築の世界に普通の人達がふらっと足を踏み入れる、その入り口としても矩子の立ち飲み屋があるのかな、と思います。
他にも街の建築のお知らせ看板や、マンション管理組合のトラブルといった身近なところから建築の細かなデザイン・法規の話にストーリーが進んでいきます。普段建築に縁のない読者からも「わかりやすい!」って言っていただけているのも、こうやって「わかりやすさ」をストーリーに落としこんできたおかげかと思います。亀戸の実在の街を舞台にしているので、そういった身近な話題から感じる「リアルさ」から建築の世界に入ってもらえたらと。
――鬼ノさんの仕事場も亀戸にありますね。この街の特徴はどんなところにあるでしょうか?
鬼ノ:僕が亀戸に来たのは18年くらい前でしたが、隣駅の錦糸町ほど賑やかでなく適度に静かで、そして職・住を一緒の場所にしている人が多いんです。ですから僕が建築関係のお仕事をさせてもらう時も、プライベートでも付き合いがある人とすることが多くて。
飲み屋も多くて気さくな街ですが、そういう方々が多いので真面目に仕事をしないと、と引き締まりますね。読者目線のために居酒屋の方にネームを見てもらったりもしています。
なぜ建築家からマンガ家に?
――鬼ノさんは上京して、20代で一度は一級建築士としても独立と、建築方面で順調に歩んでいたように見えますが、なぜまたマンガ家デビューとなったのでしょうか?
鬼ノ:ずっと雇われなのもなんだかな、と思っていて一級建築士資格を取って独立したんですが、じきに仕事がなくなってきて...矩子と一緒ですね(笑)。でも20歳くらいから趣味でイラストはずっと描いていて、ある漫画家さんの同人誌を手伝ったのがきっかけで編集者さんとの縁ができて商業デビュー、となりました。1999年のことですね。
――デビュー以来20年にわたって「エロ」を描かれてきました。そして2010年代には本格的に商業誌でも一般向け漫画を描き始め、本作でもう一つのライフワークともいえる建築をテーマにマンガを描くことができました。
鬼ノ:もうエッチな絵を描きたい欲求もなくなってきて(笑)...マンガを描きつつ、いつまでも画業だけで生計を立てていくのも難しいだろうなとは思っていて、建築の知識もアップデートしてきました。建築雑誌の「日経アーキテクチュア」もずっと購読しているんですよ。コミックマーケットに出展する時も、会場となるビッグサイトの建物には「あそこはあんな工程で作っただろうな」と思ったりします。
――そもそも建築を志した動機は何だったのでしょう?
鬼ノ:高校時代は電気科にいて日々数式を扱っていましたが、上京して入学した専門学校で建築を勉強してみたら、「空間」を感じられるというか。目の前で勉強していることの先に、建物ができていく光景が想像できるというのがいいな、と思ったからですね。
原点は「プラモのモ子ちゃん」
――上京当時は、今ライフワークになっている「マンガ」と「建築」をミックスした作品を出せるとは思いもしなかったでしょうか。
鬼ノ:そうですね...それに僕にとって矩子は「プラモのモ子ちゃん」なのかなと思います。
――「プラモのモ子ちゃん」というと?
鬼ノ:昔、タミヤのプラモデルに同封されていた小冊子の女の子です。プラモのことをいろいろ説明してくれるキャラクターで、僕も子どもの頃から見ていて好きでした。やっぱり子どもの頃見ていたものから逃げられないんだなって実感します。
――なるほど。メカ×女の子、という創作は今もオタクカルチャーの中にありますが、そのはしりだったのかもしれません。矩子も建築という理工系の世界で活躍が続きそうです。
鬼ノ:「矩子の設計思考」はこれからも1巻と同じように、矩子が建築のことをわかりやすく伝えていきます。本当に身近で大切なことなので、描ける限り描いていきたいと思います。