ウクライナ人としての誇り
サワヤン兄弟は子供のころから、父に「ウクライナ人であることを誇りに思え」と言い聞かされてきたという。4歳で来日したサワさんは、言葉も通じず、慣れない環境に苦しむ中で、この言葉を支えにしてきた。日本で生まれ育ったヤンさんも、言葉の意味を完全には理解できていなかったものの、壁に当たった時に自らを鼓舞する言葉にしていた。
父から戦地に向かうと伝えられた時、ヤンさんはこの言葉の意味をようやく理解できたという。
「どんな困難にぶつかっても、国を守るため、家族を守るために戦う。これは、ウクライナ人として生まれた瞬間から体内にある本能なのだと」
父が戦地に赴き、居ても立っても居られなくなったサワヤン兄弟は、自らも義勇兵となることを志願した。そのことを動画でも伝えると、大きな反響が寄せられた。「戦争には絶対行かない方がいい」「戦争に行く決意をしたのは勇敢だ」「動画で情報を発信し続けた方が貢献できる」――こうしたコメントについて、ヤンさんは「全ての意見に賛同できた」と振り返る。
父からも「お前たちが本当に誇らしい」と連絡があった。しかし「キエフよりも東京で再会したい」と告げられた。サワヤン兄弟は複雑な気持ちを抱えながら、戦争を止めるために自分たちができることを考えた。サワさんは、ゲーム実況を通じて戦争のことを伝え、募金活動やチャリティイベントに取り組んだ。ゲームを通して戦争について伝えることには迷いがあったが、なじみのあるコンテンツだからこそ、より多くの人に思いを届けられると考えたという。
誹謗中傷は絶えず、批判の声もあった。それでもサワさんは発信を続け、視聴者からは「子供たちが平和について考えるようになった」「社会情勢を考えるきっかけをくれてありがとう」といった言葉が寄せられたという。
ヤンさんは「現実から目を背けるのは簡単だ。問題と向き会うか、傍観者になるのか、決めるのは自分自身である」として、これ以上の犠牲を生まないために、世界中の人たちと平和への第一歩を踏み出したいと訴えた。
「1日でも早く日常が戻るよう、1日でも早く父親と再会できるよう、平和を願い、祈りを捧げる」