平安時代末期から鎌倉時代初期が舞台のアニメ・ドラマが今春放映されてきた。アニメ「平家物語」とドラマ「鎌倉殿の13人」だ。
史実とは異なるフィクションで作風もそれぞれ異なるが、両作は同じ歴史上の出来事を題材に取っている。約50年にわたって争乱が続き、日本史の転換点となった時代の特色とは。識者に聞いた。
鎌倉殿だけじゃない、アニメ版「平家物語」も
フジテレビ系「+Ultra」で放映の「平家物語」は河出書房新社版「平家物語」を原作に、平氏政権全盛期から滅亡までを全11話で描いた。古典「平家物語」の筋書きに沿って平氏一門の衰亡までを監督・山田尚子さん、脚本・吉田玲子さんによりアニメ化した。2人はアニメ映画「聲の形」「リズと青い鳥」で監督・脚本として組んだコンビだ。
21年9月から動画配信サービスFODで先行配信された本作は22年1月から地上波で放送され、3月23日深夜に第11話「諸行無常」にて最終回を迎えた。祇王と平清盛や、平敦盛と熊谷直実の逸話など原典にあるエピソードも描かれているが、平氏の運命を予知できる少女・びわ(声・悠木碧さん)をストーリーテラーにしつつ、彼女と史実の人物たちの交遊もアニメのアクセントとなっていて、歴史劇にとどまらない面も持つ。
「鎌倉殿の13人」は鎌倉幕府第2代執権の北条義時(小栗旬さん)を主人公に、平氏全盛の1175(承安5)年、伊豆に流されていた源頼朝(大泉洋さん)と北条氏の接点から始まる。三谷幸喜さんの脚本で平安末期から鎌倉初期を舞台にし、タイトルは2代将軍源頼家の治世に集団指導の合議制を確立した13人の有力御家人に由来する。平清盛・宗盛・維盛、源頼朝・義経、後白河法皇など「平家物語」「鎌倉殿」両作に共通して登場する人物も多い。3月20日放送の第11回では1181(治承4)年の平清盛(松平健さん)の死まで進んだ。
「鎌倉殿の13人」はコメディー要素も入っている。NHKが「おはよう日本」サイトで公開している同局アナウンサーとキャストとの対談記事では「ホームコメディみたいな部分もあり、サスペンスもあり、ちょっとしたミステリーもあり、人間ドラマももちろんあって、そこに三谷さんのユーモアが混ざっている」(小栗さん)「大河ドラマでこんなに笑えるってことはないと思います」(大泉さん)といったコメントも。
なぜ平氏の武家政権は挫折した?
保元の乱(1159)頃から承久の乱(1221)に至るこの時代は、武家政権が確立する日本史上の転換期でもあった。歴史学者で東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんがこの時代の特徴を解説する。
平安後期の院政期から鎌倉幕府成立までの時代は、武家が台頭し江戸幕府まで続く武家政治が始まった日本史の転換期にあたる。「中央の天皇や公家でなく、地方で武士が庶民を束ねて政権を確立させて中世が始まります。武士や地方の民衆の活躍が歴史上に現れてくる時代です」(本郷さん)
はじめに台頭したのは平氏だが、「平家物語」で描かれるように1185(寿永4)年の壇ノ浦の戦いで滅亡してしまった。平氏政権崩壊の理由を本郷さんはこう語る。
「武家政権確立の過程には3つの選択肢があったと私は考えます。まず平氏は貴族として朝廷の中で出世し、権力を得ていく道を選びました。しかしこれは皇室や公家との軋轢が避けられず、1179年には平清盛が後白河法皇を幽閉して院政を停止するに至ります。ここが平氏政権の完成形と考えますが、反発は激しく翌年には以仁王の挙兵をきっかけに壇ノ浦に至る治承・寿永の乱が始まります。源氏の一門ではない地方の在庁官人までもが平氏に背くに至り、源氏と平氏の争乱として一面的に解釈できるものではありません」
1192年に正式に源頼朝が征夷大将軍に任ぜられ、その在所から「鎌倉殿」となる。頼朝が平氏と違ったのは、京都から距離を置いたことだと本郷さんは論じる。
「頼朝は平氏の失敗に学んで、朝廷から離れたところで地盤を作るべく鎌倉に拠りました。京都から離れた鎌倉なら公家たちも『田舎で身分の低い連中が何かやってる』程度の感覚で反発が少ないという訳です。ただし自身を征夷大将軍に任命させたり、守護・地頭の設置を朝廷に認めさせたように朝廷の権威も重視しながら力をたくわえていきました。朝廷も重視するけれど距離を置く、というのが平氏とは違う第2の選択肢です」
ところが鎌倉幕府は御家人の抗争が絶えず、源氏に加わった上総広常・梶原景時・和田義盛ら有力御家人の粛清も相次ぐ。鎌倉武士らが考える「第3の選択肢」と頼朝の政策との軋轢を本郷さんは見出す。
「関東地縁の武士団の中には朝廷も無視して、武士の統治能力を誇示して中央から自立していこうという考え方もあり、頼朝に粛清(1184年)された上総広常もその1人です。頼朝時代から彼に反発する御家人勢力がいて、大きな流れでいうと北条氏が彼らをまとめあげて、朝廷から自立した鎌倉幕府を実現させていきます。承久の乱を幕府側で指導した北条義時はその代表的な功労者に数えられるでしょう」
成り上がりで幕政を握った北条氏
「鎌倉殿の13人」では承久の乱も終盤に描かれると予想されるが、コミカルな要素も多いドラマとは裏腹に史実は血なまぐさい陰謀と粛清が相次いだ。
「もともと北条氏は伊豆の豪族にすぎず家格の低い家です。彼らが幕政を掌握していく、成り上がっていく過程が鎌倉時代初期です。ライバルの御家人を蹴落としていくために、陰謀に暴力と実力を持って成りあがっていったわけです」(本郷さん)
第11話では感情露わに号泣する場面も描かれた北条義時だが、史実の義時は権謀術数に長けた冷徹な政治家でもある。ユーモアを交えて進んでいる「鎌倉殿」だが、幕府内部の権力闘争で「豹変」していくかどうかも見どころになるかもしれない。
「まだ武士の時代が始まったばかりで、後世と比較すると彼らの政治手法も荒々しい時代です。武家社会がどういう形であれば安定するのかを模索し続け、そのひずみが現れていたのが平安から鎌倉に至る一連の争乱といえるかもしれません。日本史上、古代から中世への転換期にあたる時代なのですが、陰謀や粛清からくる血なまぐささ・荒々しさがさほど人気が無かった一因かもしれません」(本郷さん)
「平家物語」で日本人に長く知られてきた治承・寿永の争乱と異なり、鎌倉時代初期は比較的地味な時代とみなされていたかもしれないが、「鎌倉殿の13人」で注目度は上がるか。
(J-CASTニュース編集部 大宮高史)