「一番さびれていた」商店街にあえて移住 営業店数ゼロからの再興へ、男性が描く釜石の未来

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   岩手県釜石市中心部から車で約10分。釜石大観音は、地元の観光名所のひとつだ。駐車場で車を降り、大観音へ向かう途中に商店街「仲見世通り」がある。ただ、営業中の店は少ない。

   かつては観光客でにぎわったが、来場者数の減少とともにひとつ、またひとつと店が減り、2018年には一時ゼロとなった。そんな「シャッター通り」に可能性をみいだし、首都圏から釜石にやってきた神脇隼人さん。コロナ禍と向き合いながら、挑戦を続けている。

  • 赤い屋根が印象的な釜石大観音仲見世通り(写真は「釜石大観音仲見世通り」ウェブサイトより)
    赤い屋根が印象的な釜石大観音仲見世通り(写真は「釜石大観音仲見世通り」ウェブサイトより)
  • 仲見世通りで開かれた「えんむすびマルシェ」(写真は「釜石大観音仲見世リノベーションプロジェクト」Facebookページより)
    仲見世通りで開かれた「えんむすびマルシェ」(写真は「釜石大観音仲見世リノベーションプロジェクト」Facebookページより)
  • かつては通りを人が埋め尽くすにぎわいを見せた(写真は「釜石大観音仲見世通り」ウェブサイトより)
    かつては通りを人が埋め尽くすにぎわいを見せた(写真は「釜石大観音仲見世通り」ウェブサイトより)
  • 「sofo cafe」の店内(写真は「sofo」Facebookページより)
    「sofo cafe」の店内(写真は「sofo」Facebookページより)
  • 赤い屋根が印象的な釜石大観音仲見世通り(写真は「釜石大観音仲見世通り」ウェブサイトより)
  • 仲見世通りで開かれた「えんむすびマルシェ」(写真は「釜石大観音仲見世リノベーションプロジェクト」Facebookページより)
  • かつては通りを人が埋め尽くすにぎわいを見せた(写真は「釜石大観音仲見世通り」ウェブサイトより)
  • 「sofo cafe」の店内(写真は「sofo」Facebookページより)

ほかのシャッター商店街とは違う「魅力」

   釜石に来る前は、全く縁のない土地だった。東日本大震災で被災したのは知っていたが、ほかには鉄、ラグビー...印象はそのぐらいだった。

   首都圏で不動産開発企業に勤めていた神脇さん。経験を積むなかで、人口が減少する中での街づくりや、個人の小さな動きがどれだけ街にインパクトをもたらすかに興味を持ち、そこから地方での不動産ビジネスを考えるようになったという。退職し、地方活性化に貢献する人材となる「地域おこし協力隊」の制度を活用。行先を検討するなかで、「一番さびれていた」と感じた釜石大観音仲見世通りを選んだ。

   釜石では2015年、若い世代が集まり地元活性化を話し合う「釜石〇〇(まるまる)会議」が開かれた。活動テーマのひとつに「釜石大観音仲見世リノベーションプロジェクト」が掲げられた。仲見世通りににぎわいを取り戻そうという目的だ。同年には早速、「流しそうめんまつり」「ハロウィンコスプレで芋煮会」を開催。以後も市内外の店が1日出店する「えんむすびマルシェ」を行った。このプロジェクトのメンバーと神脇さんは出会い、協力していくことになる。

   2018年7月、神脇さんは初めて釜石へ。当時、仲見世通りで営業している店はゼロ。ただ、ほかのシャッター商店街とは違う「魅力」を感じた。

「アーケード型ではなく、一つずつ建物が分離している点や、上から見ると赤い屋根が連なる景観は面白いと思いました」

   この場所は、東日本大震災の津波被害はなかった。生活の場としての釜石は、車を少し走らせれば大手スーパーがあり、ほどよい規模。港町で、外部から来て住む人を拒まない地域性がある。

   神脇さんは同年12月、仲見世リノベーションプロジェクトのメンバーと、仲見世通りを拠点とする合同会社「sofo」を設立。翌19年にはカフェ「sofo cafe」をオープンした。自身は現在、住まいも仲見世通りの中に構えている。

子どもの頃に来ていた40~50代が訪問

   仲見世通りでは、営業をやめた店でも6~7割は人が住んでいると神脇さん。日常の近所付き合いは、もちろんある。顔を合わせれば挨拶するのは当たり前で、「おすそ分け」も珍しくない。「卵、コーヒーゼリー、マグロのトロ、クマの肉も頂きましたね」と笑う。神脇さんの取り組みや、カフェの営業は好意的に受け止められていると感じる。

   2019年8月までにカフェのほか、別の経営者がゲストハウス、コワーキングスペースをオープン。店が開き、イベントを開催できる場所としても活用できる商店街だと徐々に知られるようになっていった。「sofo cafe」の売り上げも、順調に伸びた。

「40~50代の人が、市の内外からしばしば来てくれました。子どもの頃、仲見世通りに来ていたそうです。『昔、そば店で野球部の会合をしたことがある』といった話を聞きました」

   釜石大観音は1970(昭和45)年に完成。「かまいし情報ポータルサイト縁とらんす」によると、「明治、昭和の大津波、第2次大戦の2度にわたる艦砲射撃の犠牲者を弔い、世界平和を祈願」するために建立された。仲見世通りでは75(昭和50)年ごろ、特徴的な赤い屋根瓦と2階の格子窓を持つ20店舗ほどが営業していたという。当時の写真を見ると、通りを人が埋め尽くし、各店が通りまで商品を並べ、活気が伝わってくる。

   仲見世通りと「同年代」の人は、40代後半だ。子どもの頃はちょうど、最も店がにぎわっていただろう。

   2019年、釜石でラグビーワールドカップの試合が行われた。町は脚光を浴び、仲見世通りに足を運ぶ人も出てきたが、2020年初頭、世界を新型コロナウイルスが覆う。感染拡大が収まらず、日本各地では大勢の人が集まる機会が失われていった。

コロナ禍の先へ

   仲見世通りを活性化するうえで、出店の応募を待つだけでは難しいかもしれないと神脇さん。そこで自らが事業を起こし、軌道に乗ったら別の人に任せて次の新しいビジネスを立ち上げる、というサイクルを考えている。「sofo cafe」では近々1人雇用し、運営自体を担当してもらうと話す。自身は売り上げ増のため外に出ての販売活動や、商店街に来てもらうような「新しいコンテンツ」を計画しているという。

   釜石に来てから、今年で4年。その間に、地元の事業者から東日本大震災の話も聞いた。津波で工場が流された。仕事をしたくても、仕事場がない。泣く泣く従業員を解雇した。そこから立ち上がり、再び事業を起こす。その思いが心に響いた。

   神脇さん自身も、地元に飛び込んだ。2年前、市民劇場で演劇の主役として登場したのだ。演劇は未経験。近所の住民に声をかけられたのがきっかけだったが、思い切ってチャレンジした。普段接点のなかった地域の人たちと交流する機会になった。

   地域おこし協力隊の任期である3年は過ぎた。だが今も事業を続けるよう、努力をしている。「事業を起こすのに、3年間で終わりというのはあり得ません」と話し、こう続けた。

「不動産開発は当たり前に10年、20年スパンで考えます。機能的でコンパクトで、みんながハッピーになれる街にできないか。そのための『絵』が、まず仲見世通りで描ければ、私なりの釜石への貢献になるのかな、と。まだ、始まったばかりですね」

   仲見世通りが、昭和の時代とは違った形でにぎわう姿が見られる日が、待ち遠しい。

(J-CASTニュース 荻 仁)

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