「一番さびれていた」商店街にあえて移住 営業店数ゼロからの再興へ、男性が描く釜石の未来

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子どもの頃に来ていた40~50代が訪問

   仲見世通りでは、営業をやめた店でも6~7割は人が住んでいると神脇さん。日常の近所付き合いは、もちろんある。顔を合わせれば挨拶するのは当たり前で、「おすそ分け」も珍しくない。「卵、コーヒーゼリー、マグロのトロ、クマの肉も頂きましたね」と笑う。神脇さんの取り組みや、カフェの営業は好意的に受け止められていると感じる。

   2019年8月までにカフェのほか、別の経営者がゲストハウス、コワーキングスペースをオープン。店が開き、イベントを開催できる場所としても活用できる商店街だと徐々に知られるようになっていった。「sofo cafe」の売り上げも、順調に伸びた。

「40~50代の人が、市の内外からしばしば来てくれました。子どもの頃、仲見世通りに来ていたそうです。『昔、そば店で野球部の会合をしたことがある』といった話を聞きました」

   釜石大観音は1970(昭和45)年に完成。「かまいし情報ポータルサイト縁とらんす」によると、「明治、昭和の大津波、第2次大戦の2度にわたる艦砲射撃の犠牲者を弔い、世界平和を祈願」するために建立された。仲見世通りでは75(昭和50)年ごろ、特徴的な赤い屋根瓦と2階の格子窓を持つ20店舗ほどが営業していたという。当時の写真を見ると、通りを人が埋め尽くし、各店が通りまで商品を並べ、活気が伝わってくる。

   仲見世通りと「同年代」の人は、40代後半だ。子どもの頃はちょうど、最も店がにぎわっていただろう。

   2019年、釜石でラグビーワールドカップの試合が行われた。町は脚光を浴び、仲見世通りに足を運ぶ人も出てきたが、2020年初頭、世界を新型コロナウイルスが覆う。感染拡大が収まらず、日本各地では大勢の人が集まる機会が失われていった。

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