「『プロレスで元気を』って言えない。そんな時期がありました」
はつらつと話していたプロレスラー・藤本つかささんの表情が、少し曇った。地元は宮城県利府町。2011年3月11日の東日本大震災で友人を亡くし、気持ちは沈んだ。それでも、被災した地域のために行動する原動力となったのは、やはりプロレスだった。
震災から10日目のタイトル防衛戦
地震が起きた時は、東京都内で食事中だった。利府町の家族の無事は、その日の夜遅くに確認できた。一方でしばらくは、連絡が取れない地元の友達が多かった。
気持ちが落ち着かないなか、藤本さんが所属するプロレス団体「アイスリボン」は地震から10日目、東京・後楽園ホールで試合を行った。首都圏では電力不足から、計画停電が実施されていたが、なんとか開催にこぎつけたのだ。試合は偶然にもメインイベント、タイトル防衛戦だった。「宮城県代表のつもりで戦う気持ちが強かった。戦うことで立ち上がる姿を見せたかった」。ベルトを守った後は、大粒の涙を流した。
2011年4月1日、車で利府町に向かった。途中、見慣れていたはずの場所を通ったが、知っている景色とはまるで違っていた。戸惑った。
「車がひっくり返っていて、その隣に家の屋根があり、横には船がある。どういう状況なんだろうと......」
親しかった友人が、津波に流され命を落としたと知った。被災した地元の様子を目にして、胸が痛んだ。利府町に滞在中、友達の女性に会った時のこと。世の中があらゆる「娯楽」を控えるムードに覆われていた頃だ。「分かるけど......私だって我慢してる。でも、美容院やネイルに行きたい。それで気分が明るくなるかもしれない」。彼女はこう、口にした。
被災した人々を励ましたい。プロレスが、その選択肢のひとつになるなら――。藤本さんは、前を向いた。
避難所の体育館、ステージにマットを
2011年7月、藤本さんはレスラーたちと岩手県と宮城県を巡るプロレス「被災地キャラバン」を実現させた。普段のようなリングを設営しての試合ではない。マットを敷くだけのファイトだ。全4日間。藤本さん自身は1日3試合を戦った日もあった。「アイスリボン」の仲間のほか、地元のレスラーも駆けつけてくれた。「怒涛の日々でした」と振り返り、笑った。
最初の会場は、避難所の体育館。ステージ上にマットを準備した。
「本当に受け入れてもらえるかな。今、必要なのはプロレスじゃないのでは」
試合前は不安だった。いつもとは雰囲気が全然違う。まず、会場の子どもたちをステージにあげて一緒にマットで運動し、触れ合った。当時はコロナの心配がなかったので、試合後はレスラーがステージから下りて見物していた避難者と握手して回った。
「感動して泣いている人、声をかけてくれる人が大勢いたんです。それで初めて、『こういう形でも、役に立てるんだな』と分かりました」
宮城県内を訪問するうちに、「ここまで来たら利府町でやりたい」と、藤本さん自ら町の保育園に電話、直談判した。園児は地震の際、天井が崩れて怖い思いをしたと聞いた。「笑えるように楽しませてあげて」と先生に頼まれ、ハッスルした。「小さなお客さん」たちは、「怖いレスラー」の登場に号泣し、「正義の味方」には大声で「がんばって」と声援を送る。みんな、大喜びだった。
「プロレスで元気に」は、間違っていなかった。同時に「私自身も救われました」。
「利府のために」純粋な愛情
アイスリボンでは震災後、毎年3月11日近辺の試合で「チャリティーTシャツ」の提供を欠かさず実施している。会場で、選手が着ていたTシャツを渡す代わりに寄付を募るのだ。「サイズが小さくて自分が着られなくても、『義援金になるなら』と快く買ってくださる人がいます」。
藤本さん自身はもう一つ、震災後に始めた取り組みがある。2020年に故郷・利府町の観光大使に就任したのだ。実はこの年の4月、大使任命記念として利府町でのアイスリボンの試合が予定されていた。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大で延期。翌21年4月に仕切り直しのはずが、今度は1か月前に地震が発生して、会場が一部壊れてしまった。それでも関係者の必死の努力で修復。「利府リボン」と題した凱旋試合が、予定通り実現した。
「利府のために何かしたいと思っていました。それを目的に東京で頑張っているようなものですから」
道を歩いていたら、知らない人でも必ずあいさつをする。駅で1時間、電車を待つ間にたまたま隣り合った人と世間話を楽しむ。そんな町で、藤本さんは育った。「好きなふるさと」へ、純粋な愛情を募らせる。「利府リボン」は今年も4月24日、行われる。
思えば震災を境に、「頭で考えるよりまず、行動しよう」と心掛けるようになった。きょう1日を後悔しない生き方をする。それが今の、藤本さんのモットーだ。
「震災はつらい記憶。私自身は忘れたいし、思い出したくないことはいっぱい。でも、忘れられない。だから一生付き合って、伝えていかなければ」
震災当日は毎年、「ひとりでいるのは、嫌だな」と道場に来ることが多い。誰かと一緒にいたい。それでも14時46分になると、必ず黙とうする。11年目の3月11日も、心を込めて祈りを捧げる。
(J-CASTニュース 荻 仁)
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東日本大震災の発生から11年目を迎えた今年。J-CASTニュースはこれまで毎年、当時被災した各地を訪れ、リポートしてきました。2022年は、震災後に芽生えたさまざまな取り組みの「現在地」に焦点を当てます。この連載は随時掲載します。