戦後の斜陽化と奈良への移転、解散と復活
戦後も大阪劇場で公演を続けたOSKだが、浅草・国際劇場でのレビューを名物とした東京のSKDに対し知名度で劣っていく。
「戦後も秋月さんらのスターがOSKを支えたのですが、次第に大阪ローカルの存在になっていきます。松竹の映画などのメディアへの露出はSKDの方が多く、ターキーという抜群の知名度と人気を持った大スターもいました。ターキーに並ぶほどの大スターがいなかったのも一因だったでしょう」(小針さん)
テレビの普及は映画の斜陽化をもたらし、1971年に松竹から近鉄に経営母体が移ると本拠地も大阪を離れて奈良市のあやめ池遊園地の円形大劇場に移ったが、近鉄もバブル崩壊後のレジャー事業の不振により、遊園地の閉園とOSKへの支援打ち切りを決定。2003年5月に一度は解散した。「広い舞台で多くの出演者で見せる豪華さがみどころのレビューでは、団員の減少や劇場の縮小は魅力を損なってしまい、厳しい時代になりました」と小針さんは話す。
しかし解散後団員が「OSK存続の会」を立ち上げ、ファンの署名活動もあり04年には大阪松竹座で「春のおどり」を上演、団員の新規育成も再開された。現在は株式会社OSK日本歌劇団のもと独立した民間劇団となり、伝統のレビューや日舞に加えてミュージカルも上演し、大阪松竹座の他にも京都南座や東京での公演も行っている。2010年代には早くからニコニコ動画での公演配信にも進出し、公式サイト上では団員それぞれがブログを持っており、舞台の外でも情報発信は盛んだ。コロナ以前は訪日外国人向けのショーも開催し、大阪のエンタメとして松竹時代以来約40年ぶりにミナミに戻ってきた。