大阪のモダンなジャズ文化を担う
OSKは大阪に本拠を置き、常打ちの劇場として初代松竹座と大阪劇場(1934~1967)を使用していた。いずれも道頓堀・千日前とミナミに立地しており、大阪のモダンな音楽文化と結びついていく。
「1930年代のOSKで特筆すべきことはジャズ・タップダンスなどの西洋の流行を率先して取り入れたことです。秋月さんらダンスが得意なスターが多く活躍し、大阪のジャズ文化の一翼を担いました。戦前の大阪は関東大震災の被害を受けなかったこともあり、大正から昭和にかけてジャズの都として栄えていましたが、そこにOSKの貢献もあったのです」
OSK退団後はジャズ歌手でもあり、男女混合の「松竹楽劇団」のメンバーでもあった笠置シヅ子がブギのリズムを取りれた「東京ブギウギ」(服部良一作曲)を1947年にヒットさせたのも、このような下地があってのことであった。「大大阪」とも呼ばれ、繁栄した戦前の大阪を代表するレビュー劇団となったOSKだが戦後は退潮の時代に入る。