競技者として目指す高みと、その先
だから小須田は、競技人生で苦労を感じたことは「ない」と即答する。事故の前は「何も考えずに日々を過ごしていただけだった」という小須田は、右足を切断した時でも、気持ちがネガティブになることはなかった。むしろ、パラスポーツを始め、パラリンピックを目指し、パラリンピックに出場する、という段階を踏んでいく中で、足を失う前にはなかった「物事に本気で取り組むことの大切さ」を感じ続けている。
「足を切断した後に一番感じたのは『歩くことですら喜びなんだ』と知れたことです。成功体験を積み重ねていく中で、メンタル面で大きく成長できました。五体満足の時は普通に歩けたし走れた。当たり前にできることの大切さは、どうしても見失いがちでした。でも、歩いたり走ったりすることは普通のことじゃないんだと気付きました。
今でこそスノーボードと陸上に本気で取り組み、日本一、世界上位を目指しているけど、目標を持てたきっかけは足を失い、篤さんやパラスポーツに出会えたことでした。足を失っていなかったら、今のように何かに本気で取り組んでいることはなかったんじゃないかと思います」
競技人生の目標は「夏も冬も日本一」。将来的には、競技に恩返ししたい思いもある。
「僕は篤さんに思い切り影響を受けてこの世界に飛び込んできました。まだパラリンピックに出場するところまでしか来ていないけど、将来的には次の世代に、自分がしてもらったことを返していくことが大事だと思います。義足で走る人がもっと増えてほしい。スノーボードはもっと少ないのでなおさら増えてほしい。やってみれば物凄く楽しいことなので、もっと広めていきたいです。
東京パラリンピックが終わった後、篤さんが主導で『ブレードアスリートアカデミー』という、義足で走る人を対象にしたイベントを開き、そこに僕も講師として参加させてもらいました。初めて走る人たちが楽しそうにしている姿を見るのがすごく新鮮で、自分も嬉しくなりました。競技をやりながらなのでなかなかできていませんが、そうした普及活動も少しずつやっていければと思います」
今まず見据えるのは自分自身。「競技者として高みを目指すことが何よりも第一。僕自身が競技力を高め、追求していくことが、競技の普及にも繋がっていくと思っています」。人生の楽しさと目標を見つけた「二刀流パラアスリート」小須田潤太の、北京パラリンピック挑戦が始まる。
(J-CASTニュース編集部 青木正典)