「やっぱり『ちゃんと生きてるな』って思いますね、自分の人生が」
―― 「水色アルタイル」では、アイドルのオーティションがテーマでした。今回の「私たちに明日はある」には、特にアイドルは登場しないようですが、普段のアイドル活動が演技に役立ったと感じることはありますか。まもなくHKT48を卒業してアイドル生活を終えますが、卒業直前の大きな仕事が演技の仕事だというのは、運というか巡り合わせのようなものもあるかもしれません。
田島: そうですね、吉川あすなと向き合ったときに、正反対だけどどこか共感できる部分があったりするのは、私のアイドル人生がジェットコースターのような人生で、いろいろな経験をさせていただいたからこそ、その過去が生きていると思うシーンもあります。卒業するということで、その直前の最後の作品が私の好きなお芝居で届けられるというのは、やはり巡り合わせだなと思います。皆さんと一緒に築き上げたこの10年の集大成がこのオンライン演劇というお芝居になっていると思います。ここまでの道のりがあったからこそ、こういうタイミングがあったんだなと思いますし、やっぱり「ちゃんと生きてるな」って思いますね、自分の人生が。
―― 田島さんはグループ卒業後、例えば徳永玲子さん(編注:地元局の九州朝日放送(KBC)に多く出演するタレント。1980年代から「福岡の朝の顔」として知られている)のような形で活躍すると想像していました。田島さんにとっては、演じることが「自分の人生を『ちゃんと生きている』」ことなんですね。
田島: 私がずっと暗い洞窟を走ってるみたいな、目の前がずっと真っ暗で、ずっとそれでも走り続けなきゃいけなくて、もうどうしたらいいか分からない...みたいなときに、ちょっと光が差し込んだのが「泣くな赤鬼」(19年)という映画にご縁があって出演させていただいたときでした。それまでもお芝居に関わることはありましたが、本格的に女優さんになりたいと思えたのは、その映画がきっかけです。そこから自分の人生がまた変わったというか...。それまでちょっと辛かったというか、楽しくなかったんですよ、全然。どうしたらいいか分からないし、楽しい人生だったとは胸を張れないような生き方をしていました。ですが、そこからは(「泣くな赤鬼」に出演してからは)自分も雰囲気も変わって明るくなったというか、何か闇から抜け出す瞬間でした。「泣くな赤鬼」の時は、自分の力不足に心の底から悔しいと思いました。大御所の方々がたくさんいる中に、全然お芝居していると言えないくらい自分の力量不足をすごく感じて悔しい、って。私も皆さんのようにお芝居で戦える存在になりたい、この世界で戦える存在になりたいと思うのが(女優を志した)きっかけで、ずっとその夢は変わらず持ち続けていました。
―― 19年から情報番組「アサデス。」(KBCテレビ)に出演しています。祝日版ではメインの司会者を務めることもあります。
田島: 「アサデス。」さんをきっかけにリポーターの仕事をさせていただいて、ちょっと悩むときもあったんですが、本当に大きな経験をさせていただきました。お芝居は保証がないというか、これからの道、どうなるか全然分からない。でもやっぱり「お芝居がしたい」という、その気持ちを大事にしたいと思いました。HKT48にいると、在籍日数が長いので、先輩ですごく年上な気持ちになってしまうのですが、まだまだ夢を追いかけたいと思いました。女優さんになりたいと思った18歳の時から、ずっと変わらずその炎が消えなかったので、自分を信じて挑戦したいと思い、女優さんの道に向かって卒業を決断しました。
田島さんが主演する「私たちに明日はある」は2月28日から3月3日にかけて、前編・後編を3回ずつ上演する。前編は21時、後編は22時30分スタート。初日の2月28日と千秋楽の3月3日は前後編を続けて上演する。本公演とは別に、最終リハーサル(ゲネプロ)も「プレビュー公演」として配信する。前編が2月26日22時、後編が27日22時30分から。いずれも動画配信サイト「ZAIKO」を通じてチケットを購入して視聴する。
田島芽瑠さん プロフィール
たしま・める 2000年生まれ、福岡県出身。HKT48 チームH所属。12年にHKT48に2期生として加入。デビューシングル「スキ!スキ!スキップ!」(13年発売)でセンターを務める。18年の総選挙では26位にランクイン。19年から情報番組「アサデス。」(KBC九州朝日放送)にリポーターとして出演している。趣味は読書で、18年から小説ポータルサイト「小説丸」(小学館)で、コラム「読メル幸せ」を連載している。22年1月にグループからの卒業を発表した。