20歳の時に事故で右手と両足を失った山田千紘さん(30)にとって、残った左手は「希望の光」といえるものだった。障害そのものに意識が向いていた当時、自身の可能性に気づかせてくれたのが左手だったという。手足を3本失った絶望の中で、左手の存在によってどう前向きになれたのか。どんな気づきを得たのか。山田さんが語った。
【連載】山田千紘の「プラスを数える」~手足3本失った僕が気づいたこと~ (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)
暗闇の中で、左手は希望の光
箸やペン、着替えはもちろん、料理に洗濯に掃除、仕事のパソコン作業も、身の回りのことは全部1人で、左手だけでできるようになりました。自分なりに必死に練習を重ね、工夫を凝らした結果ではあるけど、利き手じゃなかった左手でここまで色々できるようになるとは、当初想像できませんでした。
事故直後、どん底に落ちたと思っていた僕に、周りの人たちは以前と何も変わらず接してくれました。それなのに、僕は失ったもののことばかり考えてしまっていました。
失ったものじゃなくて、残ったものはないのか。右手と両足がなくなって絶望したけど、希望はないのか。探していたら、灯台下暗しというのか、目の前に左手がありました。
残っているもの、まだあるじゃん。僕は、この左手と向き合ってきただろうか。逆境の中で、この左手の存在はプラスになるんじゃないか――。暗闇の中で、残った左手は希望の光に見えました。見える景色が変わりました。左手だけではありません。目も耳も鼻も口も、僕にはまだありました。その瞬間、圧倒的マイナスがあっても、プラスを大事にすれば、僕に可能性はあるはずだと考えが変わりました。
体に障害があると、障害そのものにばかり意識が向きがち。失ったものは確かに大きいです。でも、失ったものだけを見て、全部をマイナスに考える必要はない。必ずプラスになるものが自分にはある。左手の存在でそう気付けました。