「あっ、ゴキブリだ!」――誰しも1度は、こんな叫び声を上げたことがあることだろう。平穏な家庭内を一変させるゴキブリは「みんなの嫌われ者」とも言える虫。「人類の敵」レベルで毛嫌いしている方もいるかもしれない。だが、そんな嫌われ者の研究をライフワークとしている「ゴキブリスト」を名乗る人物がいる。
2022年1月下旬、J-CASTニュース記者が訪ねたのは静岡県磐田市にある磐田市竜洋昆虫自然観察公園。さまざまな種類の昆虫の実物や標本を収蔵し、子供たちへの環境教育を目的としている。インタビューしたのは、ここで職員として働いている柳澤静磨さん。2017年からゴキブリに魅了され、多数の種類のゴキブリについて研究を開始すると、2020年以降5種類の新種を大学教授らと共同で発表するなど、目覚ましい研究成果を上げてきた。まさに、新進気鋭のゴキブリ研究家なのだ。
(聞き手・構成/J-CASTニュース編集部 坂下朋永)
なぜ、わざわざ嫌われ者たるゴキブリを研究対象に選んだのか?
「ゴキブリスト」として精力的に研究を続ける柳澤さん。そんな柳澤さんに対し、編集部が抱いていた最大の疑問は「なぜ、あえて『嫌われ者』たるゴキブリを研究対象に選んだのか?」だった。
――ゴキブリを研究対象に選んだ理由は何でしょうか?
柳澤静磨さん(以下、柳澤):好きになったのがたまたまゴキブリだったという感じです。後から、教育的に面白いとか、人間とのかかわりが面白いとか、魅力がどんどん出てきました。ですが、きっかけは「ゴキブリってなんかよくわからないけど面白い!」と感じたことですね。
――ゴキブリが研究対象というのは実に刺激的なことだと思うのですが、研究対象としてのゴキブリの面白さは何でしょうか?
柳澤:やはり、研究している人が少ないため、未開拓の領域が大きく広がっているという点ですね。新種についてもそうですが、まだまだ分かっていないことがあるというのは、とても面白いです。
――世間ではゴキブリを嫌う人が多いと思いますが、柳澤さんとしてはゴキブリがこうした印象を持たれていることをどう思われますか?
柳澤:知られていないよりも、全然いいと思います。虫好きじゃない人でも名前を聞いただけで姿が思い浮かぶ昆虫なんて、そうはいません。嫌われているからこそ有名なので、悪いことばかりじゃないかなと思います。
――とはいえ、ゴキブリですよ?
柳澤:好きな生き物を「気持ち悪い」「嫌い」と言われることに何か感じるか、と聞かれることもありますが、そこも含めて面白い生物なので特に何とも思いませんし、私も元々は嫌いだったので気持ちはよくわかります。「気持ち悪い」「嫌い」と言っている人でも、ちょっとしたきっかけで好きに転じると思うので、「お、見込みがあるな」と思いますね。
――あ、柳澤さんも元々はお嫌いだったんですね!
柳澤:実は、2016年に昆虫公園に就職した時点ではまだゴキブリは大嫌いでした。でも、2017年に昆虫公園の仕事として昆虫採集に行った際、とあるきっかけでゴキブリを好きになってしまいました。
――そうだったんですね! きっかけとなったその昆虫採集について詳しくお聞かせください。
柳澤:この時は沖縄県の西表島に昆虫採集に行ったんですが、「ヒメマルゴキブリ」というゴキブリに出会ったことがきっかけで、ゴキブリを好きになってしまいました。というのも、ヒメマルゴキブリはダンゴムシのように丸くなるので、それまで自分が知っていたゴキブリのイメージからはかけ離れていたので。
――なるほど。ゴキブリのイメージを覆されたということですね。となると、今はもう全てのゴキブリが苦手ではなくなったのでしょうか?
柳澤:いや、今でもクロゴキブリやワモンゴキブリなど、「家に害虫として出てくるゴキブリ」は苦手ですね。家に出たら倒しますね。こいつらを見つけたら「ウワッ!」って思いますね。
――何と......そこの感覚は世間と同じなんですね!
初対面の人は「ゴキブリ研究」にどんな反応を?
もともとは嫌いだったものの、運命的な出会いをきっかけに「好き」に転じたことを明かした柳澤さん。そして、その後は研究に没頭するも、ゴキブリが苦手な多くの人と同じ感覚もまた維持した上で精進していることにも驚かされた記者は、さらなる質問を柳澤さんに投げかけた。
――「ゴキブリを研究している」と初対面の人に明かすと、どんな反応をされることが多いですか?
柳澤:まず、私が赤の他人様とお会いするのが、仕事場たる昆虫公園であることがほとんどです。昆虫を見に来られている方が多いので、そこまでビックリされることはありません。
――確かに。
柳澤:ただ、ゴキブリを採集すべく野外に繰り出した際には、地元の方々にばったり会うことがあります。その時「何してるんですか?」と聞かれて、「ゴキブリの研究のために採集をしています」と答えると、やっぱり皆さん驚かれますね。それでも、けげんな顔をする人はほとんどおらず、「どんなゴキブリを採集してるんですか?」といった質問と共に興味深そうな表情をされる方が多いです。
――なるほど。
柳澤:ゴキブリの研究をやる前はカミキリムシが好きだったので、同様に採集にも行っていたんですが、その際、同じように採集活動について説明しても、反応は「あー......そうなんですね」といったフラットなものが多かったです。きっとカミキリムシを知らないし、知ってても興味などないでしょうし。でも、ゴキブリはみんな知ってますからね。
――おっしゃる通りよく知られた存在ですね。ところで、そもそもですが「ゴキブリ」という名前の由来って何なんでしょう?
柳澤:もともと、「御器(ごき)」という、料亭などで汁物を入れて出す食器があるんですが、それを「かじっている虫」という意味で「御器齧り(ごきかぶり)」という名前が付き、5つの音のうち「カ」が脱落したという説が有力です。
――「ゴキカブリ」が変化して「ゴキブリ」に!
柳澤:そうなんです。1884年に日本で「生物學語彙」という日本初の生物学用語集が出版されたんですが、そこに、ゴキブリについての記述が2箇所あるんです。1回目の登場では「ゴキカブリ」と表記されていたものの、2回目の登場では「ゴキブリ」という表記になってしまっていました。当時は活版印刷ですから、恐らく、2回目の登場のページを印刷する際に、何らかの理由で活版が脱落し、「ゴキブリ」になってしまったんではないでしょうか。
――「ゴキカブリ」の「誤記」だったという可能性があるということですね。
56年前に発見された標本が新種であると突き止めた!
研究に邁進する柳澤さんは、2020年11月と2021年6月に日本産のゴキブリの新種を3種も立て続けに発表したほか、同年8月には4種類目(海外種)を発見した。さらに、同年12月には5種類目となる日本種を発見している。
――怒涛の勢いで新種を見つけていらっしゃいますが、4種類目の「イツツボシルリゴキブリ」の研究については「五十六年前にタイ・チェンマイで採取されたゴキブリを新種だと発表した」と中日新聞が当時報じていました。「新種の発見」なのに、時系列がねじれているように感じられるんですが......これは一体?
柳澤:それは「すでに捕獲され標本にされていたものが実は新種だったことを僕たちが発見した」ということです。この標本に出会ったのは、国立感染症研究所を訪問した際でした。初めての訪問の際にこの標本を見せていただいて、「もしや」との思いが浮かんだので、後日、再び訪問した際に、今度は標本をお借りして解剖・観察したんです。
――解剖したんですね。
柳澤:チェンマイの標本についてはすでに、僕の共同研究者である鹿児島大学の坂巻祥孝准教授がほとんど解剖されていました。僕は写真を撮って、既存種と比べました。一方、他の4種については自ら解剖しました。ただ、いずれもそんなにバラバラにはなっていません。尻の部分を少し切るなどして中を見たといった具合です。足を全部外すとかそういうレベルではありません。
――新種発見の論文って、英語で書くんですか?
柳澤:論文自体は、英語だったり日本語だったり、ものによります。ただ、新種を発表する論文は英語で書くことがほとんどです。論文の書き方は主に坂巻先生と法政大学の島野智之教授から習いました。島野先生も共同研究者です。
――論文を書くのって、大変ですか?
柳澤:大変ですね。研究者によっては「論文を書くのが楽しい」という方もいますけど、僕の場合は発見の瞬間が一番楽しくて、そこからテンションは下がっていくので、論文を書いている間は非常につらいです(笑)。
自宅には無数のゴキブリが! 「ゴキブリづくし」の異色な私生活
研究や論文についての話が終わったところで、柳澤さんの私生活について話を聞いてみた。すると、これもまた「ゴキブリづくし」だった。
――前出の中日新聞の記事では、自宅でゴキブリを1万匹飼っていると報じていましたが、それは本当ですか?
柳澤:そうだったんですが......増えすぎて、もう、何匹なのか分からなくなりました。
――どんな飼育環境なんでしょう?
柳澤:普通にプラスチックの虫かごを並べて1ケースに1種類という具合に、その中で飼育しています。美しいゴキブリとして知られる「ルリゴキブリ」も家で研究するので飼ってますね。恐らく、皆さんが思っているよりも綺麗めな光景だと思います。ちょうど、生物系の研究室でラットを飼っているような感じです。「害虫としてのゴキブリ」は飼っていないので......クワガタを飼っているような気分です。
――家では「害虫としてのゴキブリ」も出現しますよね。家にも出るクロゴキブリは外来種って聞いたんですけど、本当ですか?
柳澤:外来種といわれていますが、まだ詳しくはわかっていません。九州から出土した土器からクロゴキブリの卵の圧痕が出たという報告があって、それが本当の場合は縄文時代から日本にいた可能性もあり得るという状況です。
――家に出たゴキブリは「冷凍する」と、中日新聞の別の記事の取材に答えていましたが、これって冷凍スプレーを使うんですよね?
柳澤:いえ、捕まえてプラスチックのパックに入れて冷凍庫に保管し、凍らせるのです。多数のゴキブリ、つまり昆虫を飼っているので、家では「殺虫剤が使えない」のです。また、叩き潰したりするのも嫌なので......冷凍することで駆除しています。
――冷凍庫にゴキブリ......衛生的によろしいとは思えませんが......。普通に冷凍庫に食品は入っているんですか?
柳澤:はい。ただ、何段かあるうちの1段が昆虫専用になっています。標本にする前の虫もたくさんいるので、専用の場所を設けています。さすがに食品と一緒ではありません。で、死んだら標本にします。
「ゴキブリ展 -5G-」に「GKB48総選挙」
まさかのゴキブリの処分方法に度肝を抜かれたが、そんな柳澤さんに活躍の日が近づいている。2022年2月5日から4月3日まで、昆虫公園で「ゴキブリ展 -5G-」が開催されるのだ。
――2018年からゴキブリ展をなさっているということで、今回で5期目ならぬ5回目。普段の研究もさることながら、こちらも非常に刺激的ですね。今回の見所は何でしょうか?
柳澤:毎年大きくは変わりませんが、それでも毎回、初登場のゴキブリがいます。展示も過去4回より見やすく、解説も増えています。今回展示を予定しているのは約55種類です。
――「5G」に「55」......字面も実にそれらしいものが並んでいますが、ゴキブリ展では毎年来園者参加型のイベントを実施すると聞いています。
柳澤:はい。「GKB48総選挙」という、某アイドルグループからヒントを得て人気投票を行っています。ちなみに、サブタイトルは「手に入れろ、G(ゴッド)の称号」です。飼育している約120種の中からGKB48に名乗りを上げる 48種類を選出し、さらに、上位7位にはサブタイトルの通り「神7」の称号が与えられます。1位になったゴキブリは「センター獲得」の栄誉に輝き、展示で際立たせる一方、次の年以降は殿堂入りならぬ「卒業」となり、ランキングには入らなくなります。
――そのGKB48ですが、出場を予定しているゴキブリたちの姿が、昆虫公園のツイッターで見られるんですね。見渡す限り、ゴキブリだらけです。反響はいかがでしょう?
柳澤:好き嫌いが分かれる生き物なので、ゴキブリが嫌いな方はやはり見に来ないようです。なので、苦情はほとんど来ません(笑)。
いなくていい生き物なんていない
記者が最後に聞いてみた質問、それは、自然界におけるゴキブリの役割についてだった。
――生態系の中におけるゴキブリの役割とは何でしょうか?
柳澤:やはり、分解者としての役割ですね。落ち葉や動物の死骸を分解することや、朽木を食べて分解することで森林の新陳代謝に貢献しています。他の生き物の餌になるという形でも貢献していますし、後は植物の種を運ぶということが最近分かってきています。
――つまり、ゴキブリは実は生態系には無くてはならないということでしょうか?
柳澤:無くてはならないですね。やっぱり皆さん毛嫌いしますけど、生態系には欠かせないですね。
――ゴキブリでも生態系に無くてはならないということは、いなくていい生き物なんていないということでしょうか?
柳澤:そうだと思います。絶滅していい生き物なんていないと思います。どんな生き物も生態系の中で何かしらの役割を担っていますが、人間が知っているのはそれのごく一部だけですから、「この生き物がいなくなったらどんな影響が出るか」なんて全く未知のことなんです。仮にある種が絶滅した後にその生き物が担っていた役割が分かった場合、絶滅したことを嘆いても遅いですからね。
柳澤静磨さん プロフィール
やなぎさわ・しずま 1995年2月5日生まれ。東京都八王子市出身。日本自然環境専門学校(新潟市)を卒業後、2016年4月から磐田市竜洋昆虫自然観察公園(静岡県磐田市)の職員として勤務。2018年2月から同園で「ゴキブリ展」を開催する傍ら、2020年からは法政大学の島野智之教授と鹿児島大学の坂巻祥孝准教授と共にゴキブリの新種を発表し、ゴキブリの研究に邁進。2021年12月には、自身5種類目となる「アカズミゴキブリ」を発表するなどゴキブリ研究家として注目を集めているほか、ゴキブリの専門家として「ゴキブリスト」を自称している。