20歳の時に事故で右手と両足を失った山田千紘さん(30)は、生活に必要なことを左手だけでこなす。1人暮らしでの家事、仕事に使うパソコンも、当然すべて左手のみ。「大体左手でできるようになって、困ることはほとんどない」という。
だが、最初からこれほど器用に扱えていたわけではない。手足を失う前は右利き。箸やペンを左手で使う練習からはじめ、積み上げていく中で少しずつできることが増えていった。残った左手でどんな練習をし、どんなことができるようになったのか。山田さんが語った。
【連載】山田千紘の「プラスを数える」~手足3本失った僕が気づいたこと~ (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)
食事の練習、字の練習
もともとは右利きでした。両手があった頃、左手を意識して使うことはほとんどなかったと思います。だから事故で右手を失って、人生のすべてを失ったような気持ちになりました。
でも、よく考えたら左手も右手と同じ力を持っているはず。僕には左手がある。利き手じゃない左手だけど、できることがあるんじゃないか――。病院のベッドで気持ちを切り替えました。事故の1週間~10日後くらいのことでした。
最初に入院していた横浜の病院では、まず看護師さんや看護助手さんがご飯を食べさせようとしてくれるのを、「自分でやります」と全て断りました。スプーンやフォークからはじめ、徐々に箸の練習をしました。
並行して取り組んだのが、字の練習です。左手で字を書いたらやっぱりヘタクソ。ペンに慣れるため、ルーズリーフ1ページ全部に日記を書きはじめました。
日記は字の練習と同時に、その日の振り返りができます。1日1日と向き合わないと1ページ分の内容は出てきません。朝何を食べたか、昼は何をしたか、看護師さんは誰が担当で、どんな話をしたか、その日お世話になった人や親にどんなメッセージを伝えたいか、そんな何気ない日常の1つ1つをひたすら書きました。
書いた日記は、夜勤の看護師さんや親に読んでもらいました。1人で書くだけではなく、人に見られて、褒められたり指摘されたりすることで成長できます。相手が読みやすい字を書けるようにしようと意識もします。
日記を書いていて何よりも良かったのは「生きていることが楽しい」と思えたことです。入院中は手足を失った現実に落ち込むこともあったけど、日記でその日あった出来事を振り返ると「今日も生きているんだ」と実感できました。
入院していたのは約10年前だけど、当時の日記は今でも持っています。爆笑レベルの幼稚な内容ですけど、2か月間毎日、1ページにびっしりよく書き続けたなと思います。そうして継続した結果、左手で箸を使うこともペンで字を書くことも、入院中に問題なくできるようになりました。
日常生活のことは大体左手でできるようになった
横浜の病院を約2か月で退院した後、埼玉のリハビリテーションセンターに移ると、左腕の筋力トレーニングに励みました。左手だけの生活で困らないようにするためです。何しろ全部左手でやらないといけない。たとえば重い荷物を運ぶ場合も片手です。PT(理学療法士)の先生方と一緒に、義足で歩く練習をするのと並行して筋力を鍛えました。
過去に筋トレをしたことはなくて、元々筋力は弱かったです。トレーニング室で筋トレと体幹トレーニングを続けたほか、ベッドにゴムチューブをつけておいて、暇さえあればずっと引っ張っていました。毎日トレーニングした結果、もともと30キログラムもなかった左腕の握力は、倍近くの50キロ弱まで上がりました。
今、航空関連会社で経理の仕事をしていますが、パソコン作業も当然左手1本。けがをした20歳までは別の会社で営業をしていて、パソコンはあまり使ったことがなかったです。タイピングも慣れていませんでした。けがの後、これからパソコンは絶対に必要だと思って練習しました。今ではブラインドタッチもできます。
日常生活では左手1本で料理もできるし、服も着られます。掃除、洗濯もできます。ハンガーや洗濯バサミも片手で使えます。ほぼ諦めたのは靴紐を結ぶ動作くらい。それ以外は大体左手でできるようになって、困ることはほとんどないです。
「スポッチャ」へ遊びに行ったこともあります。左手だけでどれだけ楽しめるか、行く前は分からなかったけど、バッティングでヒットを2本打ちました。サッカーはPK対決でシュートを2本決めました。バスケもバレーも卓球も楽しめました。
身の回りのできることは自分でやっていくと、あの時病院で決めてから、左手を自在に使えるようになるため色々な練習を積んできました。できることは自分でやると決めたのは、「何もできない人」と思われたら悔しいから。僕自身、事故で右手と両足を失った直後は「何もできない」と思っていました。でも「左手があるから、まだ自分で決めつけてはいけない。やってみよう」と前を向いて、左手の力を磨き上げてきた結果、ここまで来ることができたんです。
(構成:J-CASTニュース編集部 青木正典)