開館は積年の「約束」だった
喜多さんは9歳からかんざしの収集を始めたのだという。
美術館には、大和の神鹿信仰に基づいて制作された江戸時代の「鹿角かんざし」や、忍者が隠密活動に使用していたという細工付きの「隠密かんざし」など珍しい品が揃う。近くで鑑賞してもらうため額装で展示するといったひと工夫も。
かんざし以外にも豊臣秀吉公が制作させたという仏像「荼枳尼天」や、幕末に江戸城で大奥女中を務めた先祖から受け継いだ打掛などの古美術品を展示。また打掛の着用体験や歴史的な物語の語り聞かせも行っていた。
開館のきっかけには昭和天皇との出会いがあると、喜多さんは明かす。
もともと大の相撲好きで稽古場へスケッチに通うほどだったという喜多さん。母のふとした思いつきから、相撲ファンで知られる昭和天皇のため力士の絵を描いて宮内庁へ贈ることがあった。
すると昭和天皇が作品を気に入り、それから毎年誕生日にあわせて相撲絵をプレゼントするように。そして84年秋、第39回国民体育大会に伴って奈良入りされた昭和天皇と面会することとなった。
入江相政侍従長らが集まる面会の場で、喜多さんは前述の「鹿角かんざし」など2、3本の収集品を逸話とともに披露。美術館開館の夢を語ると、昭和天皇から前向きなお言葉を受けたという。
この経験もあって喜多さんにとって美術館を開館することは昭和天皇との「心の約束」となった。侍従長との交流は続き、朝日新聞社が刊行した「入江相政日記」にも喜多さんについての記述がみられる。
「それなのに、開館してすぐそういうことになって...」(喜多さん)