冷戦時代からソ連と東側諸国は、西側文化の中でも様々な描かれ方をしてきた。小学館「ゲッサン」で連載中のマンガ「国境のエミーリャ」(池田邦彦さん作、津久田重吾さん監修協力)は第二次大戦後に東西に分割された架空の日本を舞台とする。ベルリンにように壁で分割された東京の東側で、西側への亡命を助ける脱出請負人という裏の顔を持つ少女・杉浦エミーリャを主人公にした歴史活劇である。2019年に連載開始、21年12月までに単行本5巻が刊行済みだ。
作中、エミーリャらが暮らす「東トウキョウ」は共産化されてソ連のような暮らしぶりが描かれており、戦後処理の行方によってはありえたかもしれない「共産主義の日本」を読むことができる。フィクションではあるが本作のリアリティ、そしてソ連社会の実態とはどんなものだったか。そして日本の漫画・アニメはソ連のカルチャーをどう扱ってきたのか?ソ連に詳しく、同作で監修を担当している小説家・ライターの津久田重吾さんとゲッサン編集部副編集長の板谷真人さんに聞いた。
(聞き手・構成 J-CASTニュース編集部 大宮高史)
(津久田重吾さんプロフィール)
小説家、ライター。小説「テールエンド」シリーズ(集英社スーパーダッシュ文庫)など著作活動のほかに「BLACK LAGOON」「シン・エヴァンゲリオン」など映画・アニメ・マンガの軍事面の考証や監修も手がける。ソ連に関して「いまさらですがソ連邦」(速水螺旋人さんと共著、三才ブックス)などの著述活動も行っている。
「十月革命駅」になった上野駅にレーニン像が立つ
――まず、東西に分断された日本と東京という「国境のエミーリャ」のストーリーが生まれたきっかけをお聞きします。
(ゲッサン編集部 板谷)「私が池田先生に新作の相談をした時点で、池田先生が構想を持っていました。そこで共産主義になった架空の日本をある意味正確に描くために監修として津久田さんに入っていただいて、エミーリャを主人公に連載がスタートしました。
池田先生はもともと鉄道にお詳しく、代表作には国鉄時代の鉄道員を描いた漫画『カレチ』があります。『国境のエミーリャ』ではそういった池田先生の知識に加え、津久田さんによる軍事や共産文化・風俗についての考証、更には津久田さんと、津久田さんに繋いでいただいたロシア人声優のジェーニャさんによる言語監修によって作品世界を構築しております」
(津久田)「『エミーリャ』の中の日本は共産主義の東日本と資本主義の西日本に分断されていますが、東日本ではキリル文字やロシア語が公用表記に用いられたりソ連風の鉄道や自動車が取り入れるなど、ソ連色を強めて描いています。独立国ではありますがソ連邦内の1共和国という雰囲気で、かなりソ連化が進んだ日本をイメージしていますね。
東西に分断されている物語を日本でやりたい、というアイデアは池田さんが当初から抱いていたそうです。『分断国家モノ』として、隔絶された壁の向こうの世界を描くというテーマはドイツのベルリンの分断、北朝鮮と韓国の分断という歴史もありますから、今の私達にもイメージが湧いて通用するテーマだと思います」
――なるほど。「分断国家」というイメージも冷戦が生んだ落とし子といえるかもしれませんね。
――「十月革命駅」に改名され、駅前にレーニン像が立つ旧上野駅の人民食堂で働くエミーリャは毎日のように「昼食は売り切れ!」と叫んでいます。ソ連のモノ不足や行列を象徴するようなセリフです。
(津久田 )「まずソ連という国は外食産業が日本ほど発達していませんでした。十月食堂は『スタローヴァヤ』という大衆食堂をイメージしていますが、ソ連では飲食店もランク分けされていて、着飾ってコース料理をたしなむレストランから大衆的なスタローヴァヤ、カフェまでランクが分かれています。ところが宣伝という発想がないのか、看板も地味なので観光客だと気付かずに通り過ぎてしまいそうです。
計画経済の国ですから決まった分の食材しか供給されません。ところが人民食堂は駅にあるのでいつも大勢の人が利用するから混んでいる上、お客さんの数が読めないので余計に売り切れになりやすいのだと思います」
「ソ連市民」と「ロシア人」は違う
――エミーリャは人民食堂で働きながら、西側への亡命者を手助けしたりスパイを援助したりしています。それを追いかけるのが「人民警察(ミリツィア)」と「KGB」です。このような治安機関が市民生活を監視しているのも東側の特徴かと思われます。
(津久田)「ソ連や東欧にあった民警(人民警察)は日本の警察と同じで治安維持・犯罪捜査のための機関で、KGBは情報収集やスパイ摘発、思想統制が主な任務です。これらは管轄が異なっていて民警は内務省の機関ですがKGBはそこから独立していました。ソ連には他にGRU(ソ連軍参謀本部情報総局)という対外工作を仕掛ける軍の情報機関があり、これらが互いに監視しあっていて仲も悪かったのです」
――なぜ治安組織がそれだけ力を持っていたのでしょうか。
(津久田)「ソ連建国の経緯にまでさかのぼります。ロシア革命で樹立された共産主義のソ連は、欧米をはじめ当時の列強にとっては相容れない国で、世界から煙たがられます。全世界が敵といっても過言ではない状況で、国内でも体制を破壊しそうな芽は少しでも摘んでおく、という疑心暗鬼ぶりをエスカレートさせた結果がソ連崩壊まで続いた監視社会です。
また情報機関を複数作るメリットもありました。一つの機関が突出した影響力を持つことを防げますし、共産党にとっても権力闘争の中で足元をすくわれる恐れが減ります。またあるルートから上げられた情報だけが正しいとは限りませんから、複数のルートで裏を取ることができます。
そのような社会ですから職場にもKGBがスパイ網を持っていたり、市井の共産党員らによる『OPOP』という市民の自発的な、隣組のような自警団的組織がありました。
またソ連は建前上治安良好な国だとアピールしていましたが、実際には殺人もあるしマフィアも不良少年もいました。民警も秘密警察のような仕事ばかりが任務ではなく、そうしたありふれた犯罪捜査も仕事でした」
――民警の警部は「ウラゾフ」という名前で、他にも日本人らしからぬ名前・出自の登場人物が多数います。エミーリャも日本人とロシア人の血を引いていて、多民族国家の雰囲気です。
(津久田)「西側から見るとソ連とロシアは同じかもしれませんが、ソ連=ロシアではないのです。ソ連は多民族国家でウクライナ・ベラルーシ・モルドバ・アルメニア・キルギス...と、ヨーロッパからアジアまで様々な民族からなる国でした。確かに圧倒的に多いのはロシア人で、彼らがエリートでソ連を作ったというプライドも持っていて民族間で格差がありましたが、建前としては諸民族が平等にソビエト市民として連邦を構成していました。『エミーリャ』作中では日本人もそのソ連市民の1人のように描いています」
ソ連は「敵として魅力的に見えたんです」
――津久田さんがソ連に惹かれたきっかけは何だったのでしょうか?
(津久田)「きっかけは『若き勇者たち』という1984年のアメリカ映画でした。映画自体はアメリカの田舎町に突然ソ連軍が侵攻し若者たちが戦うというストーリーですが、そのソ連軍の兵器や軍装がとてもマニアックで、ソ連の軍装品に興味を持ち始めました。ソ連が作る戦争映画はほとんどが第二次大戦が舞台でしたが、それらよりも西側がソ連を描いた映画の方をよく観るようになります。
当時ミリタリー趣味界はやはり日・米・独などのファンが多数派でソ連好きは超少数派で、『就職に不利になるぞ?』と思われることもありましたね」
――それでもソ連が格好いいと感じたのはなぜでしょうか。
(津久田)「『ウルトラマンよりもバルタン星人の格好いいと思った』という感覚でしょうか。敵として魅力的に見えたんですね。強そうで謎めいた国で、人口も兵力もあって兵器も独特で。赤旗や軍服、軍事パレードと統一美や色彩美が面白く映ったのだと思います。アメリカや日本とは国家の優先順位が異なっていて、豊かな生活よりも安全保障が第一の国家でした」
ロックもジャズもソ連市民は知っていた
――文化風俗の面ではどんな社会だったのでしょうか。統制社会の印象が強いですが。
(津久田)「例えば出版ですと検閲が当たり前の国ですが、『西側の退廃ぶりをソ連の青少年に宣伝する』という名目で外国文化を伝える雑誌が発行されて市民も読むことができました。すると目的と手段が逆転し、『退廃した西側を批判する』というのは建前で、皆興味本位でそういった出版物を読んで興味を強くしていく、ということもあったのです。若者たちも建前では『けしからん』と言いながら『格好いいな』と面白がって読んでいて、部数も増えていく。
ラジオもモスクワやレニングラードなら西側の短波放送を聴けましたし、音楽は『肋骨レコード』やカセットテープを秘密に共有しあっていました。肋骨レコードとはレントゲン写真に音源を刻んで自作するレコードのことで、ジャズ・ロックなど当局に禁じられた音楽はこうして楽しんでいました。ビートルズの楽曲などもですね。
ですから、ソ連当局が対外的に自国の芸術としてアピールするバレエやクラシックや映画とは別に、国内でもポピュラー音楽は聴かれていたし育っていたんですね。ソ連崩壊後『ソ連にもロックがあったんだ!』欧米から驚かれましたし、マイケル・ジャクソンが東欧ロシアでツアーを開催したのも、東側での人気が影響していましたかもしれません。
『ロックはいいけどヘビメタはダメ、パンクはダメ』のように、ちょっとずつ緩めたり締め付けたりで西側の文化も受け入れていたのが60年代以降のソ連だと考えられます」
――「ベルリンの壁」や「鉄のカーテン」の閉鎖的なイメージとはちょっと異なる姿が見えてきました。
(津久田)「ソ連の市民も西側の文化には興味津々だったのです。それはエリート層も同じで、書記長のブレジネフ(在任1964~82)も西側のスポーツカーを愛好していたエピソードがあります。1970年代にはソ連も昔より豊かになっていて消費生活を楽しむ余裕ができてきます。
また欧米諸国との関係も温度差があり、例えばイタリアとの関係は良好でファッションや自動車のトレンドも影響を受けていました。ただアパレル産業自体が貧弱で既製服に乏しく、家庭で型紙から縫製していく習慣だったので外でお洒落を楽しむ機会が少ないですね。あと『エミーリャ』で帽子をかぶっている描写が多いですが、当時のトレンドであるのと、ソ連は寒い国ですから冬には帽子が欠かせない、そういうところも考慮して描いています」
「なんでもあり」が許されそうなソ連の科学力
――「エミーリャ」の特徴として史実のソ連に忠実な描写もあれば、大胆に脚色した架空の兵器やテクノロジーも登場します。例えばレールの幅が3mもある超広軌鉄道やエンバーミング(遺体保存)の技術など。
(ゲッサン編集部 板谷)「池田先生が子どもの頃に持っていたソ連への郷愁というか、何だかよくわからない国だけど何かやってそう、というイメージが発想に投影されているのかもしれません。池田先生の発想と津久田さんの考証が適度にミックスされてリアリティのある作品になっているのかなと思います」
(津久田)「『科学大国のソ連だったらやりかねないだろう』という謎の信頼感がありますね。常識外のオーバーテクノロジーでもソ連ならやっていてもおかしくないな、みたいな。冷戦で西側と競っていた国でかつ学歴社会でしたので、様々な分野で科学研究が進んでいました。『このままでは西側に負けてしまう』となれば何でも研究ができたのです。原子力もその代表例ですね。指導者が変わるたびに理論がコロコロ変わる社会科学より自然科学が進んでいた国でした」
ソ連の魅力は「いびつさ」「アンバランスさ」
――津久田さんは1991年の5月にソ連にも行かれたことがあるそうですが、実際現地を見てどんな国でしたか?
(津久田)「『案外普通の国だったなあ』とも感じました。同年夏にはクーデターが起きたばかりのウラジオストクにも行くことができて、グループで自由に旅することができました。ゴルバチョフのペレストロイカ前は基本的に団体ツアーのような形でしか旅行はできませんでした。
そして91年12月にソ連は崩壊してしまいますが、蓋を開けたら情けない国だったかもしれません。基本的に冷戦時代、西側の人々はソ連が見せたいものしか見ることができませんでした。しかし崩壊するとベールが取り払われ、90年代には経済も低迷します。
フィクションでの描かれ方も、ソ連時代は謎めいた、でも格好いい存在だったのが、崩壊後は『ソ連の兵器が紛争地域に流出』といった設定がしばしば使われて厄介事を振りまく存在のようになってしまいました。マンガ『BLACK LAGOON』作中でもそうでした」
――その「BLACK LAGOON」や「ガールズ&パンツァー」のように、ソ連のミリタリーに影響された作品も日本では珍しくなくなりました。
(津久田)「冷戦時代は日本も含めた西側が描くソ連はやはり『悪役』であることが多かったですが、当時とは隔世の感がありますね。日本のアニメ・マンガに出てくるロシア人といえばかつては『ゴルゴ13』シリーズの敵役だったり『ルパン三世』に登場する怪しいキャラクターだったりしたのが、近年では『ユーリ!!! on ICE』のスケーターだったりしますから。
まずゴルバチョフのペレストロイカでイメージが変わり、00年代には草の根レベルで人同士の交流が増え、プーチン大統領がネットミーム化するといった出来事を経て、今の私達が抱いているロシア観になったのかなと思います。ロシアでもソ連を知らない若い世代が、ごく普通に日本に興味をもって日本で活動してくれるようにもなりました」
――最後にもういちど、1991年12月25日のソ連崩壊から30年になりますが、ソ連の社会や文化を長年調べてきた津久田さんにとって、この国の面白さをまとめると何と言えるのでしょうか?
(津久田)「『いびつさ』でしょうか。決して貧しい国だったわけではなく、知的エリートは宇宙・数学・コンピューターなど特に自然科学ではすごいことをやっている。しかし科学大国なのに市民はパンを買うために行列を作ったり納期を待たされたり、インフラは古く非効率なので電力不足に悩まされた国でした。
また冷戦で周りが全部敵という事情に加えて大国のプライドもありましたから、国内ではモノが不足しているのに『ソ連は力強くて豊かな国なのだから貧しい国に援助するのが当たり前だ』とアフリカやキューバなどに律義に援助をしている。映画で知った表向きの格好よさ、冷戦時代の謎めいたイメージに加えてこんなアンバランスなところもソ連の特徴で、そこに私も含めて惹かれる人は今もいるのかなと思います」