「ソ連市民」と「ロシア人」は違う
――エミーリャは人民食堂で働きながら、西側への亡命者を手助けしたりスパイを援助したりしています。それを追いかけるのが「人民警察(ミリツィア)」と「KGB」です。このような治安機関が市民生活を監視しているのも東側の特徴かと思われます。
(津久田)「ソ連や東欧にあった民警(人民警察)は日本の警察と同じで治安維持・犯罪捜査のための機関で、KGBは情報収集やスパイ摘発、思想統制が主な任務です。これらは管轄が異なっていて民警は内務省の機関ですがKGBはそこから独立していました。ソ連には他にGRU(ソ連軍参謀本部情報総局)という対外工作を仕掛ける軍の情報機関があり、これらが互いに監視しあっていて仲も悪かったのです」
――なぜ治安組織がそれだけ力を持っていたのでしょうか。
(津久田)「ソ連建国の経緯にまでさかのぼります。ロシア革命で樹立された共産主義のソ連は、欧米をはじめ当時の列強にとっては相容れない国で、世界から煙たがられます。全世界が敵といっても過言ではない状況で、国内でも体制を破壊しそうな芽は少しでも摘んでおく、という疑心暗鬼ぶりをエスカレートさせた結果がソ連崩壊まで続いた監視社会です。
また情報機関を複数作るメリットもありました。一つの機関が突出した影響力を持つことを防げますし、共産党にとっても権力闘争の中で足元をすくわれる恐れが減ります。またあるルートから上げられた情報だけが正しいとは限りませんから、複数のルートで裏を取ることができます。
そのような社会ですから職場にもKGBがスパイ網を持っていたり、市井の共産党員らによる『OPOP』という市民の自発的な、隣組のような自警団的組織がありました。
またソ連は建前上治安良好な国だとアピールしていましたが、実際には殺人もあるしマフィアも不良少年もいました。民警も秘密警察のような仕事ばかりが任務ではなく、そうしたありふれた犯罪捜査も仕事でした」
――民警の警部は「ウラゾフ」という名前で、他にも日本人らしからぬ名前・出自の登場人物が多数います。エミーリャも日本人とロシア人の血を引いていて、多民族国家の雰囲気です。
(津久田)「西側から見るとソ連とロシアは同じかもしれませんが、ソ連=ロシアではないのです。ソ連は多民族国家でウクライナ・ベラルーシ・モルドバ・アルメニア・キルギス...と、ヨーロッパからアジアまで様々な民族からなる国でした。確かに圧倒的に多いのはロシア人で、彼らがエリートでソ連を作ったというプライドも持っていて民族間で格差がありましたが、建前としては諸民族が平等にソビエト市民として連邦を構成していました。『エミーリャ』作中では日本人もそのソ連市民の1人のように描いています」